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苦難の後に訪れる復活の喜び
みなさん、主イエス・キリストのご復活おめでとうございます。共にその喜びを分かち合いたいと思います。 ただ、今年は、あまりにも大きく、あまりにも長期にわたる東日本大震災の被害が続く中で迎えるイースターであるだけに、素直に喜べないという気持ちもおありではないでしょうか。家族の多くを失った人々、避難所での困難な生活、津波で根こそぎにされた生活基盤と漁業や農業、地震でなかなか回復しない工業生産、原発災害によってふるさとを失って難民化してしまった人々、放射能の恐怖の中でひっそりと暮らす人々、運動場で遊べない子どもたち。どれ一つとっても、喜びなどとはほど遠いものです。遠くインドネシアやチリ、ハイチなどで起こった地震、津波は、悲しくはあっても、これほどの現実味をもって受け止めることはできませんでした。それほど、大きな苦難が私たちを含めた人々、日本に暮らす人々に襲いかかっているのです。 しかし、だからこそ、私たちは主イエスの死と復活の意味をしっかりと理解し、イースターの喜びを噛みしめることが大切なのではないかと思うのです。というのは、イエスさまのご復活もまた、十字架上での苦しみと死を通してしか起こらなかったからです。イエス・キリストのこの世での命を奪った十字架刑は、当時の政治犯、とくにローマ帝国への反逆罪に問われた人々に対する残虐な刑罰でした。メル・ギブソンが数年前に製作した映画『パッション』には、その残酷さが克明に描かれており、見るに堪えない惨状が映し出されます。その刑罰が行われたのが一昨日の金曜日でした。朝の9時頃から始まり、午後3時ぐらいまで刑は続きました。十字架上で苦しまれたイエス・キリストは、「成し遂げられた」「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と言われて息を引き取られたのでした。 今から2000年前の世界、人間の現状は今以上に悲惨なものでした。神は、高いところにいまして腕組みをし、冷たく私たちを見下ろしておられる方ではありませんでした。神は私たち人間の窮状、惨状をご覧になり、私たちの叫びに耳を傾け、その苦しみや悩みを分かち合うことによって、私たちに救いへの道を示してくださったのです。それは、ひとりのみ子イエス・キリストをこの世に送ってくださることでした。イエス様の地上でのご生涯は、まさに壮絶なものでした。貧しい大工の家に生まれ、この世の苦しみをなめ尽くし、苦しみ悩む人びとと共に歩み、人びとを癒し、勇気づけ、人びとに救い主として愛され、反対にこの世で権力や権威を振りかざす人びととは徹底的に闘い、ついにはユダヤの支配層、そしてその上に君臨していたローマ帝国に憎まれて十字架上で殺されました。それがイエス様の生き様です。そして、その苦しみを進んで引き受けられたからこそ、神はみ子イエス・キリストをよみがえらせられ、天に挙げられたのです。それは私たちに希望と永遠の命への道を示されるためでした。もしも、イエスさまがその運命を逃れ、途中で楽な道を選ばれていたとしたら、十字架も復活もなかったことでしょう。そして、復活という出来事がなければ、わたしたちの信仰であるキリスト教はあり得なかったでしょう。パウロは次のように教えています。「キリストが復活しなかったのなら、わたしたちの宣教は無駄であるし、あなたがたの信仰も無駄です。」「キリストが復活しなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたは今もなお罪の中にあることになります。」(コリントの信徒への手紙一15章) 私たちの人生をとってみても、必ず苦しいことがあり、それを乗り越えたときの喜びがあります。もちろん、乗り越えようのない泥沼のような苦悩もあるでしょう。しかし、それでもなお、未来を考えるとき、かすかな希望が見えはしないでしょうか。そして、苦しみが大きければ大きいほど、その後に来る喜びも大きいのではないでしょうか。大切な人を失った寂しさ、悲しさは容易には消えないけれども、神への祈りの中で、また人々の暖かい交わりの中で、懐かしい想い出だけが残ってゆくように思うのは私だけでしょうか。 今日は旧約聖書の代わりに使徒言行録が読まれました。その中で、復活の証人となったイエスの弟子たちが、その経験に基づいて力強く宣教に邁進する様子が生き生きと記されています。私はいつも不思議に思うのですが、なぜ弟子たちがこのように大胆にイエスさまを宣べ伝え、命を抛ってまで、イエスさまに従おうとしたのでしょうか。イエスさまが十字架刑につけられたとき、恐怖のあまり、三度までイエスさまを知らないと言い張ったペトロ。蜘蛛の子を散らすように逃げてしまった弟子たち。絶望のあまり故郷のガリラヤまで帰り、漁師に戻ってしまった弟子たち。女性たちは最後の最後までイエスさまの死を見守ったのに対して、男性の弟子たちは誠に情けない有様でした。まるで蜘蛛の子を散らすように、イエスさまの処刑の現場から逃げ去ったのでした。ただ、弟子のヨハネだけが踏みとどまったようです。しかし、まさに弟子たちのこの悲しみと絶望、混乱こそが、彼らが起ち上がってゆく原点となるのです。彼らもまた、絶望と苦悩を経て復活の喜びを与えられたのです。 イエスさまの復活については、すべての福音書が証言しています。4つの福音書に共通している一つの記述は、女性たち(その名前は微妙に食い違っておりますが)が墓についたとき、墓は空であったということです。これに対しては古来、様々な反論や合理的な説明があって、ユダヤ人たちは弟子がイエスさまの遺体を盗み出したのだと言い(だからそれを防ぐために神殿の番兵が見張りをしていたのですが)、中には、彼女たちはお墓を間違えたのだという説まであるのです。しかし、イエスさまを葬った彼女たち、しかも、神殿の番兵までもが見張っているお墓を間違えるはずはありません。いずれにせよ、人間には理解できない、不思議な、神的な出来事が起こったとしか言いようがないのです。ともかく、イエスさまのお体はなかったのです。ですから、女性たちは怯えました。マルコ福音書にはその様子が正直に記されています。「婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。」マタイ福音書は、女性たちが恐れだけでなく喜びに満たされたと記されています。わたしたちは、自分の経験によって理解できない人や出来事に出会うと、まず恐怖によって反応します。しかし、その恐怖を乗り越え、事態を受け入れる人と、拒絶してしまう人とがいます。拒絶は差別と憎悪につながり、場合によっては相手の抹殺につながります。聖書の女性たちは、生前のイエスさまに対する愛から、この恐ろしい事態を喜びをもって受け入れることができたのです。 一方、男性の弟子たちが、イエスさまの復活という事態を受け入れるためには、復活されたイエスさまご自身が幾度となく弟子たちの前に現れなければなりませんでした。ヨハネ福音書20章19節には、「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」と書かれています。弟子たちは、復活のイエスさまに出会って、やっと信じることができました。こうして、弟子たちは、絶望と不信の中から、大きな希望と信仰を得ることができたと言うことができるでしょう。 聖書の証言には、もう一つ大切なメッセージが含まれています。それは、天のみ使いが「あの方は、ここにはおられない。あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」と告げたということです。ガリラヤ。それはイエスさまと弟子たちの生活の現場であり、宣教の現場でした。イエスさまは、弟子たちの生活と宣教の現場にこそ共におられる。昇天された後も、聖霊がともにいてくださる。それが、このメッセージです。ルカ福音書には、「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。」というみ使いの言葉が記されています。復活されたイエスさまは、目には見えないけれど、わたしたちが生き、生活し、苦しみ、悩み、喜び、その中で祈るとき、いつも共におられるのです。もちろんわたしたちは、なかなか信じることができない弟子たちを笑うことはできません。わたしたちは情けない弟子たちと同じ状態にいるからです。目に見えるしるしを求め、お墓の中に復活の証拠を見つけようとしている。そうではなく、わたしたちの生活の現場で、復活のイエスさまと出会わなければならないのだと思います。そのことによってわたしたちは変えられる。弟子たちと同じように、信じる者に変えられるのです。 今私たちは、東日本大震災という未曾有の試練に直面して、苦悩と不安に満たされています。しかし、そこから目を背けてはならない。現実に深く関わることで、私たちは復活のイエス・キリストに出会うことができる。それは、必ず、私たちが苦悩と不安を乗り越えることができる。廃墟の中から起ち上がることができるということを意味しています。
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2011年04月24日(日)
No.9
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布教活動をしているさまざまな宗教団体の中には、あなたが病気にかかったのは先祖の悪業がたっているのだ、などと言って、「先祖の悪霊払い」のためにということで、壺や印鑑、お札、石などを法外な値段で売りつけるところも多くあります。そういうのを霊感商法というのですが、物を売りつけなくても、祖先の罪を持ち出して相手を脅し、宗教に勧誘するという手口は良く見られるようです。 私たちクリスチャンは、そうした脅しを信じません。また、病気や障害がその人の罪の結果であるなどという主張も信じません。しかし、イスラエルの宗教にも、そうした考えがなかったと言えば嘘になります。例えば、出エジプト記20章5節、有名な十戒の中で神が語られる言葉ですが、それは「わたしは主、あなたの神。わたしは熱情の神である。わたしを否む者には、父祖の罪を子孫に三代、四代までも問う」と記されています。「熱情の神」というのは、以前の口語訳では「ねたむ神」と訳されています。なるほど、神を信じるというのは、それほど、排他的で、没頭しなければならない面があると思います。何を信じても良いというのではないのは確かです。しかし、祖先の罪が子孫にまで及ぶというのは、納得しずらいのではないでしょうか。イスラエルの宗教の中にも、そうした考えに批判的な預言者が現れます。例えば、エゼキエルです。エゼキエルは祖先の罪が子孫に及ぶという思想を覆し、本人のみの責任を問うのです。「お前たちがイスラエルの地で、このことわざを繰り返し口にしているのはどういうことか。『先祖が酢いぶどうを食べれば/子孫の歯が浮く』と。わたしは生きている、と主なる神は言われる。お前たちはイスラエルにおいて、このことわざを二度と口にすることはない。すべての命はわたしのものである。父の命も子の命も、同様にわたしのものである。罪を犯した者、その人が死ぬ。」(エゼキエル18:2-4)逆に、祖先が立派な人で、神の言葉を守ったとしても、その子孫が憎むべきことを行ったとすれば、彼はその報いを受けるというのです。いわば自己責任ということでしょうか。 しかしイエス・キリストは、病気や障害は本人の罪も含めて、罪の結果であるという考え方(私にはそれは一種の宗教的呪いのように思われるのですが…)そのものを根底から退けられます。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」という問いかけに対して、イエスさまは「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」とお答えになるのです。 ヨハネ福音書9章のこのみ言葉ほど、病や障害に苦しみ、宗教的な呪縛に苦しみ人を救った言葉はありません。なぜ、自分はこのような状態になってしまったのだろう。自分が何か悪いことをしたからなのか。それとも、先祖のせいなのか。その苦しみに、多くの宗教がつけ込みます。イエスさまは言われます。それは、あなたのせいでも、あなたの祖先のせいでもない。あなたがその病と共に生きることによって、そこに神さまが働いてくださるのだと教えてくださっているのです。もちろん、病に苦しむ人に対して、「それは、神の業があなたに現れるためですよ。」「それでいいのです。」などと決して言うべきではありません。むしろ、その苦しみを分かち合い、共に苦しむことこそが求められます。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。」(ローマ12:15)病の苦しみという圧倒的事実を前にして、言葉はその力を一瞬失うのです。 しかし、病にかかり、その中でイエスさまのこの言葉に触れて救われた人の口から語られるとき、ヨハネ福音書のこの言葉は、まぶしいばかりの輝きを放ちます。作家・大石邦子さんもそうした証しをされる一人です。大石さんは若いときに事故に遭われたのがきっかけで、病の床に伏し、生死の境をさまよいます。そして数十年後、「第四領域症候群」という不治の病であることを宣告されます。動くことができず、排尿も導尿に頼らなければならない。これは若い女性には屈辱的でした。一時はこの世に生を受けたことを呪うような気持ちになりました。そんな中で、実に多くの宗教が勧誘に来たそうです。そして、祖先のたたりだとか、悪霊を払いなさいと言われました。しかし、キリスト教だけは勧誘に来なかった。あるカトリックの信徒は、冗談交じりに、「カトリックは怠け者だから」と笑っておられたそうです。その大石さんの人生を180度変えたのが、ヨハネ福音書9章のみ言葉でした。大石さんはこう語ります。「これは今まで聞かされてきた前世の因縁、親の因果などとは全く正反対の言葉でした。歩けなくなったのは罪の結果ではない、生きていて良いのだ。この言葉に触れた時、私は心の重りが下り、本当に良かったと思ったのです。」 そして、ご両親の嘆き、友の熱い友情、悲しみを共に担ってくれる看護婦さんのやさしさに触れ、徐々に生きる勇気を少しずつ取り戻されたのです。何よりも十字架にかかられたイエス様のお姿に出会い、生きていることの恵みを心から受け止めるようになり、洗礼を受け、カトリックの信徒にならました。 「手に握る十字架の像これにさへ、釘は打たれて両掌つらぬく」。これがその時に歌われた歌です。大石さんは、今は車椅子の生活をされておられますが、その経験と感謝から、今は作家活動を続けながら、不登校の子供たちに対する働きかけなど、苦しんでいる人々に対して手を差し伸べておられます。その大石さんは、次のような言葉を語っておられます。 「ある日から、今まで感じることのなかった、ちょっとしたことにも新鮮さを感じ、感動するようになりました。すべてのものが美しく見え出しました。先生の手の指に、“人の生命”を感じるようになりました。」 「一人の人間として本当に大切にされていると実感する時、人はきっと変わっていきます。(…)神様は絶望の中にあった私に、父の姿、母の姿、友達、看護婦さんの姿を通して、頑張れと、命ある限り生き通さなければならないのだと言い続けてくださった様な気がしてならないのです。これからも、あの力無く首垂れる、私たちのために十字架にかかってくださったイエス様に常に支えられているということを信じて、生きていきたいと思っています。」 これは、他人が言えることではありません。これは、大石さんが病気との闘いの中で、大石さんにとっての神様の絶対のお恵みを受け取った証しであります。その人の上に、神の業が現れるとは、そういうことではないかと思います。大石さんの生き方と言葉によって、どれほど多くの人が励まされたでしょうか。 ところで、病と健康ということと共に、年齢ということも私たちが見つめなければならない問題です。私たちの中には、早く信仰生活に入る人もいれば、遅く信仰生活に入る方もおられます。80歳を過ぎて洗礼を受け、信仰生活を送っておられる方も存じ上げておりますが、本当にすばらしい信仰のお手本だと思っています。あるユダヤ教のラビの言葉に、「ある人は一時間で神の国に入り、ある人は一生かかってやっと入る」という言葉があるそうです。また、黙示録に出てくる新しい都エルサレムには12の門があり、東の門は日の出の方向を向いていて、ここからは人生の暁にいる人が入ってくる。西の門は日没の方向に向いていて、ここからは人生の晩年を送っておられる方が入ってくる、と言い伝えられています。入る時はちがっても、みな神様の前では尊い人であり、神の国では等しく神様の栄光に浴することができるのであります。これは、慰めであり、喜びであると思います。この教会でも、次第に天に召される準備をしなければならない年齢の方が増えているように感じます。それは、決して不吉なことでも、嫌なことでもありません。そうではなく、みながやがては帰らなければならない神の懐へ赴く備えをしているのです。それもまた、神の栄光を表すことなのです。 今、東北地方の人々の上に、そして日本全体の上に与えられているこの試練は、果たして神の業、神の栄光を表すことになるのでしょうか。今は、とてもそうは思えません。神さまは何とひどいことをなさる、何と不公平なことをなさるとしか思えそうにありません。しかし、私たちがこの危機にあって、心を一つにして祈り、互いに助け合い、手を差し伸べ合うとき、そこに活きた神がおられることを証しすることができるのではないでしょうか。犠牲者の救助に当たっている多くの人々の行い(世界各国から国際救助隊が来ました)、また、互いに争うのではなく被災者自らが助け合っている姿、行政やその他の機関で現場の前線におられる方々、ボランティアで現場に駆けつけ、被災者の救援に当たっている青年たち。近所の人々が互いにそっと手を差し伸べる姿。そうした一つ一つの行為の中に、神の働きが示されているように思うのです。私たちも、自分には何ができるかを考えて行きたいと思います。あるいは祈りによって、あるいは募金によって、あるいは必要な物資を届けることによって、体力と時間があれば、現場に駆けつけることによって。さまざまな方法で、私たちは今困難の中にある人々を支えなければなりません。そのなかにこそ、神が来てくださる。神の業が現れるのではないでしょうか。
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2011年04月03日(日)
No.8
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