2007/4/8 復活日
 
旧約聖書:イザヤ書51:9-11
使徒言行録:使徒言行録 10:34-43
福音書:ルカによる福音書 24:1-10
 
生まれ変わる
 
 みなさん、イースターおめでとうございます。ハッピー・イースター。教会ではクリスマスと同じくらい、いやそれ以上に大切な喜びの日。それが復活日です。
 今から2000年前のパレスチナ、ユダヤの国で、イエス・キリストはお生まれになり、およそ30歳を少しすぎた若さで、ユダヤの支配者とローマ帝国によって十字架上で処刑されました。十字架刑というのは、当時の政治犯、とくにローマ帝国への反逆罪に問われた人々に対する残虐な刑罰でした。その刑罰が行われたのが一昨日の金曜日でした。朝の9時頃から始まり、午後3時ぐらいまで十字架上で苦しまれたイエス・キリストは、「成し遂げられた」「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。」と言われて息を引き取られたのでした。イエス様の地上でのご生涯は、一体、どのようなものだったのでしょうか。貧しい大工の家に生まれ、この世の苦しみをなめ尽くし、苦しみ悩む人びとと共に歩み、人びとを癒し、勇気づけ、人びとに救い主として愛され、反対にこの世で権力や権威を振りかざす人びととは徹底的に闘い、ついにはファリサイ派やサドカイ派、律法学者、そしてローマ帝国に憎まれて十字架上で殺された。それがイエス様の生き様です。ヘブライの信徒への手紙は、イエス様のそのようなご生涯について、次のように記しています。「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。」主なる神はそのイエス様のご生涯、その生き方を全面的に肯定され、よみがえらせられ、そして天に挙げられたのです。
 十字架刑のあった金曜日の翌日は、土曜日、つまりユダヤ教の安息日でした。しかも、過越の祭りの特別な安息日でした。ですから、イエスの弟子たちも女性たちもただ祈るしかありませんでした。そして、次の日、つまり週の初めの日(日曜日)の明け方に、女性たちはイエス様の遺体に香料を塗ろうとして墓に行ったのです。すると、イエス様の遺体はすでになく、輝く衣を着た二人の人がそばに現れて、「あの方はここにおられない。復活なさったのだ。復活なさったのだ。」と告げたのでした。この神のみ使いたちの言葉は何を表しているのでしょう。マルコ福音書には、この言葉の続きに、「あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。」というみ使いの言葉が記されています。ガリラヤとは、イエス・キリストが人びとの間で宣教され、喜びと苦しみを共にし、共に生活した場所です。復活されたイエス・キリストは、再び、その生活の現場へ、宣教の現場へ向かわれる、ということをその言葉は示しています。言い換えれば、復活されたイエス・キリストが体現される永遠の命とは、死後の世界のことだけではなく、まさに、この地上で生活しているわたしたちの生き方に関わることなのだ、ということではないでしょうか。事実、復活されたキリストは、女性たちに現れ、ガリラヤに戻った弟子たちに現れ、打ちひしがれていた彼らに大きな慰めと勇気を与え、世界に向けての宣教に立ち上がらせていったのです。『千の風になって』という詩が歌われ、有名になっていますが、その冒頭は、「私のお墓の前で 泣かないでください。そこに私はいません 眠ってなんかいません。」で始まっています。神の使いが語ったことは、イエス・キリストに合おうと思えば、お墓を探してはいけない。人びとが生活し、苦しみと悩み、喜びを共にしているその現場にでかけなさい、人びとの人生に出会いなさいということでした。
 復活されたキリストは、それから2000年の間、人びとに出会い続けました。そして、数知れぬ人びとの人生を根本的に転換してこられたのです。パウロがそうでした。初代教会のクリスチャンたちがそうでした。アッシジのフランチェスコがそうでした。わたしたちの先輩である日本のクリスチャンたちがそうでした。わたしたち人間は、自己中心性の中に生きています。それをキリスト教の教えでは「罪」と呼ぶのです。罪とは、必ずしも「犯罪」ではありません。神と人のことを思わず、自分の、あるいは自分たちのことを思うこと、自らを正しいとして、他人を批判し、貶めること。それらはみな、わたしたちの「罪」のなせる業です。わたしたちは生活の中で、この自己中心性から逃れることができません。しかし、イエス様のご生涯に触れ、復活のキリストに出会うとき、光が差し込んできます。わたしたちは生まれ変わって、神と人のために生きる力を与えられます。わたしたちの生活のただ中における「永遠の命」とはそういうことをいうのではないでしょうか。
 ヒュー・ブラウンという北アイルライド出身の牧師のことをご存じでしょうか。彼もまた、復活のイエス・キリストに出会って作り替えられた人です。彼は1957年、北アイルランドの州都ベルファストで生まれ、非行を重ね、15歳でテロ組織のメンバーになります。アイルランドはイギリスの植民地支配から抜け出す過程で、北アイルランドを残して独立しますが、その北アイルランドでは、イギリス派の住民(その多くはプロテスタント)と北アイルランドもイギリスの支配を断ち切るべきだと考えるIRA(アイルランド共和国軍)と呼ばれるテロ組織とが激しく対立していました。ヒュー・ブラウンはそのイギリス派のテロ組織に入り、爆弾テロや拳銃による暗殺などの活動に携わるようになったわけです。その間、敵対する組織に襲われて膝をピストルで撃ち抜かれ、もう少しのところで歩けなくなる重傷を負ったこともあり、不安で、安眠することができなかったといいます。ところが18歳の時、銀行強盗に加わったとき、仲間の密告によって逮捕されます。政治犯として懲役6年の実刑判決でした。彼は、もうこれで相手組織から狙われることもない、という半ば救われた気持ちで刑務所での生活を始めました。それから2年後、彼はイエス・キリストに出会ったのです。それは皆様もよくご存じの『ベン・ハー』という映画でした。テレビで映されたその画面には、キリストの生涯の場面がいくつか出てきました。その中で、イエス・キリストが十字架につけられる場面で、彼は自分自身が、キリストが十字架にかけられるその現場に運ばれていくということを感じました。刑務所にいるはずなのに、彼はいつの間にかキリストの処刑の場所であるゴルゴタの丘にいました。そしてキリストが処刑される瞬間を目撃して、はっきりと次のことを自覚しました。「私は神を信じないで自己中心の生き方をしてきたが、それが神の子であるイエス・キリストを殺す結果になってしまった。キリストを殺したのは他の誰でもない、この私だ!」そう彼は叫びました。「私は人に対して『罪』を犯しているだけでなく、神に対しても『罪』を犯している。」「私の不信仰。それが『罪』なのだ。」彼はその事実に、刺し貫かれました。先主日に歌いました聖歌147番『裏切り者、おまえはイエスを十字架につけた』はまさにわたしたちのその罪を歌っています。現代は、Were you there when they crucified my Lordといいます。「彼らが主を十字架につけたとき、おまえはそこにいたか?」という意味です。その罪の自覚を、ヒュー・ブラウンは痛いほど感じたのです。それから彼は、自分が犯した罪について一つ一つ告白し、「罪の懺悔」をいたしました。彼はこう書いています。「本当の意味で『罪』を悔い改めるとは、自分中心の生き方をやめて、神に喜ばれるように生きることなのです。私はこの夜、『ベン・ハー』を観ていてそのことに気づきました。」こうして彼はクリスチャンになり、生まれ変わりました。刑務所を出るときは、全くの別人になっていました。そしてその後、神学校で勉強し、牧師になり、やがて日本伝道隊というグループの宣教師になって、日本に渡り、日本での宣教を始めることになるのです。現在は、西播磨の教会で牧師として福音を説く傍ら、教誨師として刑務所や少年院などで、特に青少年の更正のために献身的な働きをされていると聞いています。近く、プール学院大学ではこの方をお招きして、講演会を行う予定です。
 「人は生まれ変わることができる」そのことを、ヒュー・ブラウンさんの人生は示しています。イエス・キリストの復活は、罪に染まったわたしたちが、十字架上の血によって赦され、新しい命、新しい人生を与えられるという希望を示しています。わたしたちの毎日の生活を振り返ってみましょう。さまざまな人間的な思い患いや、時には憎悪、ねたみなど、人間の性ともいうべき自己中心性が渦巻いていないでしょうか。わたしはそれを自分自身で感じます。しかし、そんなわたしたちでも、生まれ変わることができる。イエス様のみ跡に従って、神と人とに仕える道を歩み出すことができる。今日のイースターはその希望の日、喜びの日です。共にその喜びを分かち合いましょう。
 
<祈り>
恵み豊かな全能の神よ。今日、あなたはみ子イエス・キリストをよみがえらせられ、そのご生涯と十字架上での犠牲の意味を肯定され、そのことによって、わたしたちが罪の鎖から解き放たれ、新しい人間として生まれ変わる希望をお与え下さいました。どうかわたしたちが、自己中心性という罪から解き放たれ、イエス・キリストの弟子として、神と人とに仕える道を歩むことができるように、わたしたちをお助け下さい。豊かな聖霊を注ぎ、わたしたちを強めてください。