2007/3/18 大斎節第4主日
 
旧約聖書:ヨシュア記5:9-12
使徒書:コリントの信徒への手紙二 5:17-21
福音書:ルカによる福音書15:11-32
 
放蕩息子
 
 私の母が先週の水曜日に天に召されました。91歳でしたから、天寿を全うしたと言っても良いのかも知れません。また、キリスト者にとって死とは決して無になることでもなく、敗北でもなく、むしろ勝利であり、永遠の命へと歩むことでもあるということは承知してはいるものの、やはり、その肉体的存在が消滅するというのは、何とも言えず寂しいものです。14日に通夜の祈り、そして15日には葬送式が執り行われ、トマス教会の牧師として母を生前お導き下さいました名出司祭と木村司祭に説教をいただきました。この教会の皆様にも本当に多数ご参列をいただき、感謝の他ありません。この場をお借りしまして、皆様に心からお礼申し上げます。
 母は大正5年、1916年に墨林慈圓と登美子の次女として生まれます。そして川口基督教会で幼児洗礼を受け、青年時代に堅信をやはり川口教会で受け、その後、大阪聖パウロ教会で青年会活動を続け、梅花女学校から同志社女専に進みます。卒業して間もなく当時まだ同志社大学の学生であった父、岩城覚と結婚します。当時の社会では学生結婚は珍しく、母のある意味で奔放な情熱家としての姿が目に浮かびます。若いときにはよくダンスにも通ったと言います。そして、三人の姉と私を産み、育ててくれました。
 母はその91年の人生で、幾度となく辛く、苦しい試練を経験したのではないかと思います。中でも大きな試練は3度あったと推測しています。一つは戦時下と終戦後の生活です。父は高射砲部隊だったので外地に出征することはありませんでしたが、3人(私は戦後に生まれました)の子どもと、同居していた祖母、そして父方の祖父、さらに戦時中は母の姉の一家とともに暮らし、支え合っていかなければならない生活は大変な苦労であったろうと思います。戦後生まれの私も、さつまいもと山羊の乳、いわしのおかげで栄養不良にならなかったと聞いています。第2の試練は、父、覚の事故死でした。父は昭和38年(1963年)5月1日、天保山から徳島に向かう飛行機が淡路島の諭鶴羽山に激突して49歳で天に召されました。母は46歳でしたが、「主与え、主取り去りたもう。主のみ名はほむべきかな。」というみ言葉を唇にしながらその試練に耐え、当時まだ高校生であった私と大学生の姉を支え、社会に送り出してくれました。また、父親の義父である岩城弘隆、母の母親である墨林登美子を最後まで看取り、献身的に看病したことも一つの試練だったと思います。
 そして、晩年の母が一番心を痛めていたのが、おそらく息子(つまり私)の信仰生活のことだったのではないかと思っています。私は、大学時代までは熱心に教会生活を送っておりましたが、その後、京都教区のセンターとホテルの建設問題をめぐって教会のあり方に疑問を抱き、信仰に躓いてしまいました。自分自身としてはキリスト教信仰を持ち続けているという自負はありましたが、とにもかくにも、教会からは遠ざかってしまいました。そして、自分勝手な思いに囚われて、冷淡な態度で教会を批判していたのです。父の死後熱心に教会活動(そしていのちの電話相談のボランティア)に身を献げていた母がどんな気持ちでいたかと思うと本当に心が痛みます。「そんな信仰は偽物だ」とまで母を責めたこともあります。
 しかし、そんな私のために母は何年も、何年もひたすら祈り続けてくれたのではないかと思うのです。その祈りを神さまは聞き届けてくださいました。40代も後半頃から、私は、自分の傲慢さ、愚かさ、罪深さに気付き苦しむようになりました。人間の罪の内で、神さまが最も忌みきらわれるもの。それは、人間の高慢(ヒュブリス)です。自分だけを正しいとして、教会の人々を裁く。それは恐ろしい自己義認です。私の心を打ち砕いたのは、母の祈りだったのでしょう。私はやがて教会の門を再び叩き、聖職志願に至ったのです。
 さて、今日の福音書は放蕩息子の話です。母の葬儀の直後に、このような聖書箇所で私に説教しろと言われる神さまは、本当にひどい方だと思います。しかしそれは、この福音書の譬え話の意味をもう一度しっかりと受け止めなさいという神さまのご意志であろうと思っています。その放蕩息子の話には、3人の異なる主役が登場いたします。普通、この物語の主人公は、下の息子、つまり放蕩の限りを尽くして父親の元に戻った息子と考えられます。しかし、私たちはこの3人のそれぞれに自分の身を置いてこの聖書のメッセージを体験することができるのではないかと思うのです。まず、下の放蕩息子の方です。彼は、二つの点で大きな過ちを犯しました。一つは、父の遺産を生前に分けてもらったことです。現代の日本でもそうですが、遺産はその方が亡くなった時に初めて相続されるものです。生前贈与には莫大な税金がかかります。イスラエルでも、生前に財産の分配を要求するというのは父親を殺してしまうという意味をふくむのです。少なくとも父親を軽んじるということを意味しています。二つ目の過ちは、せっかく分けてもらった財産を後先のことも考えずに湯水のように遣ってしまったということです。私は財産を要求したわけでも、それを湯水のように使ったということはないのですが、母の信仰を侮り、教会の信仰を軽んじていました。そして、せっかく神さまから与えられ、両親に育んでもらったこの私という存在(それはちっぽけなものに過ぎませんが)を神さまから遠ざけるという過ちを犯していたのです。先日、堺聖テモテ教会が中心になって開いている浜寺朝祷会に、元ヤクザで有名な金沢泰裕牧師を招いてメッセージをいただきました。そのとき、ご一緒に来られた、やはり元ヤクザの青木さんという方が、証しをしてくださいました。彼は17歳の時から暴力団に入り、好き放題の生活をしていた、他人の弱みにつけ込み、人を虐めることなど何とも思わなかったと言います。しかし、29歳の時に刃物で刺され、死の恐怖を感じたとき、初めて自分の弱さに気づいたというのです。やがて暴飲暴食がたたって肝硬変を患い、闘病生活をする羽目になります。そのとき、自分の命を浪費していたことに気づき、教会の門を叩きます。死の恐怖を感じたということは、自分の存在の有限性、人間のはかなさに気づいたということだと思います。そして、今自分が生かされているということに感謝の気持ちを持つことになったのでしょう。彼は、一生かかっても世の中に謝罪していかなければならないということに気づき、伝道者としての道を歩み始めました。
 青木さんのようにある意味で劇的な回心を経験される方は少ないかも知れません。しかし、私たちは多かれ少なかれ、神さまから離れて暮らしていることがあるのではないでしょうか。私のように長期にわたることもあります。普段、熱心に教会に通っていたのに、ふと、疑いや動揺を感じて、充実した信仰生活を送れなくなることもあるでしょう。日曜日は神さまの恵みを感じることができるけれども、日々の生活の忙しさの中で神さまを見失ってしまうことだってあると思います。自分に与えられた才能や力や可能性を浪費していることもあるかもしれません。そういう意味では、私たちはみなそれぞれ罪人であり、放蕩息子であるかもしれません。そのことをパウロは「義人ひとりだに無し」という言葉で言い表しました。
 でも、そのような放蕩息子を、父親はずっと慈しみの目で見てきました。私が教会を離れておりました間、母はずっと祈り続けていたに違いありません。木村司祭は葬送式の説教の中で、ヘブライ人への手紙の中から、「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(11:1)を引用され、私が教会に戻り、神さまのお役に立つことを疑わずに信じていた、と話されました。そうであってもやはり、その胸の内は、やはり悲しみと不安で一杯だったのではないかと推測するのです。そう思うと、いたたまれない気持ちになります。しかし、その母の祈りは聞き届けられました。神さまは私を受け入れて下さいました。私たちは、神ではありませんから、自分を離れていった人を簡単に受け入れることはできません。それでもなお、私たちはある意味では、この父親の立場にも立たなければならないのではないでしょうか。迷っていた子羊、過ちを犯した人々、神さまから離れていた人々、更に言うならば、自分とは意見の異なる人々、異なった生活経験を持つ人々、そうした多様な人々を受容し、自分もまたそれによって豊かにされる。それが教会生活の素晴らしいところです。さまざまな基準や規則によって、人々を選抜し、差別をする社会一般の団体や組織とは異なっているところです。いろんな人がいていいのです。
 放蕩息子の兄は、それができませんでした。彼は父親の元でまじめに働き続けた孝行息子でした。ユダヤ教の基準では、義人に当たると思います。しかし、彼は弟を赦すことが出来ませんでした。腹を立てて家に入ろうともしませんでした。レンブラントの絵の中に『放蕩息子の帰還』という作品があります。放蕩息子は父親の懐にすがっています。それを抱きしめる父親の大きな手。そして、それを横から眺める兄のねたみに満ちた複雑な眼差し。レンブラントはこの三人の関係を見事に描ききっています。私たちは、この兄の状況に目を向け、自分自身を点検しなければならないのではないかと思うのです。あなたは、自分を離れた人を受け入れることができますか(とても難しいことでしょう)。自分と違った境遇の人を受け入れることができますか(これもまた、難しいことでしょう)。先ほどお話しした元ヤクザの青木さんが最初に教会の門を叩いたとき、その姿格好に怯えた教会の人は、誰も彼に近づかなかったと言っておられました。確かに、ヤクザに限らず異質な人が来ると怖い。教会は拒絶反応を示すことが多いのです。しかし、そうした人こそ、神の救いを必要としていると言えないでしょうか。私たちの教会は、救いを求めている人々を十分に受け入れているでしょうか。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ2:17)このみ言葉をしっかりとかみしめたいと思うのです。
 このように、私たちは長い人生の中で、放蕩息子、父親、兄、それぞれの立場に代わる代わる立たされます。私自身に今神さまが求めているのは、私のために祈ってくれた母に学び、その跡を歩み、父親の立場に立つことではないかと思っています。もちろん、弱く、小さく、頼りない存在ですが、祈り求めることによって、神さまはきっと私を助け導き、用いて下さると信じています。最後に、お祈りの代わりに本日の詩編の一部を朗読いたします。
 
しむ者が主に叫ぶと、神は聞き‖ 悩みの中から救)い出してくださった
を畏れる人の周りには、主のみ使いは陣を敷き‖ 彼らを助け出してくださる
が恵みに満ちておられることを味わい知れ‖ 神に寄り頼む人は幸
聖徒たちよ、主を畏れよ‖ 神を畏れる人には乏しいことがない