2007年12月24日 クリスマスイブ・メッセージ
 
かけがえのない価値
 
 みなさん!メリー・クリスマス!クリスマスおめでとうございます。2000年前の今宵、地球の片隅、ローマ帝国や中国、現代でいえばヨーロッパやアメリカ、といった大国ではなく、ユダヤという滅びに直面している小さな国の、そのまた小さな村で生まれた一人の赤ん坊の誕生日を、今、世界のほとんどすべての国でお祝いしています。その赤ん坊こそ、全人類の救い主としてお生まれになったイエス・キリストです。
 イエス・キリストの誕生の様子を記した新約聖書のマタイ福音書とルカ福音書を読みますと、そこには驚くべき物語が書かれています。第一に、貧しい家庭に育ち、まだ幼かったアリアという女性が、神の恵みに包まれて男の子を宿したということです。当時、婚約中とはいえ、女性が相手の男性の子ではない子を宿すということは、石打ちの刑に当たる大罪でした。マリアと婚約者ヨセフは悩みに悩んだ末、その子を自分たちのことして育てることを決意します。また、お生まれになった場所も、後に「全世界の救い主」と呼ばれるようになった神の子には、あまりにもふさわしくないと思われる、糞尿の臭いの立ちこめる家畜小屋でした。第三に、イエスさまの誕生のことを真っ先に知らされたのは、夜、羊の番をしていた羊飼いたちでした。羊飼いは当時のイスラエルの産業を代表する牧畜業(遊牧)の主な担い手でありながら、人々に軽蔑され、罪深い者とされていました。その羊飼いに、真っ先に天使が現れ、「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と告げられるのです。第四の驚くべき出来事は、はるか東方の国から三人の占星術師(当時最先端の科学でした)が星に導かれて幼子イエスの誕生の現場にやってきたということです。東方の国というのはおそらくペルシアかあるいはもっと遠くのインドかも知れませんが、いずれにしても、当時のイスラエルの考え方からすれば、神による救いの外に置かれていた異邦人でした。その異邦人に救い主の誕生が知らされたのです。これらのことはすべて、一つのことを語っています。それは、神がこの世に、しかも、最も低いところに、最も低い存在として来られた、ということです。貧しく、低く、悩み、虐げられ、差別され、疎外された人々のところにイエスさまは来られた、ということです。
 私は今宵、とくに羊飼いが真っ先にキリスト誕生について知らされたということに注目したいと思います。先ほども申し上げましたが、羊飼いはイスラエルにとってきわめて大切な仕事に携わりながら、社会からは疎外されていました。映画『マリア』が12月に栂美木多の東宝シネマで上映されましたが、その中で羊飼いがぽつりと語るシーンがありました。「わしは神さまからは何も贈り物をもらったことはない。ただ毎日羊を追って、生涯独り暮らし。よいことは何もない。ただ、いつかは贈り物をもらえるという希望だけをもらっている。」彼らは、自分たちの人生の意味も、誇りも持つことができないでいるのでした。昨日私はテレビニュースでとても悲しい事実を知らされました。過疎が進んでいる農村で、ほとんど消滅の間際にある「限界農村」「限界集落」と呼ばれる村が全国には数千あるそうですが、その中のある村が、産業廃棄物処理場(それはほとんど毒性の物質です)の誘致をしているというのです。目的は土地を売却して、子どもたちに現金を残すということです。先祖伝来の土地を手放すのは何とも悔しい。しかし、それ以外に方法はない、というのです。ある学者がコメントで「誇りの空洞化」という言葉を使っていました。自分たちの労働、仕事が世の中から見放されている、子どもたちからも見放されている。意義を見いだすことができないという悲しい現状でした。イスラエルの羊飼いも、ある意味ではそうだったかも知れません。自分が何のために生きているのか分からない。その羊飼いたちのところへ、真っ先に神のみ使いが現れて、「あなた方のために救い主がお生まれになった。」と告げたのです。
 アメリカではクリスマスになると決まって上映される古典的な映画に、『素晴らしき哉人生』というのがあります。1946年の作品といいますから、ちょうど私が生まれた年に作られた映画です。作品の舞台は、第二次世界大戦直前と直後に設定されています。人々の生活は、まだまだ貧しいものでした。苦労している人もたくさんいました。そんな中で、一生懸命に良心的に生きる一人の男、ジョージが主人公です。ジョージは子どもの頃、遊びの最中に氷の穴に落ちた弟を助け、自分は風邪をこじらせた片耳が聞こえなくなります。そして、病気から回復してアルバイトで働いていた薬局の主人を、機転を利かせて救います。その薬局の主人は息子を亡くしたショックから間違った薬(それは毒薬でした)を調合して、ジョージに届けさせたのです。ジョージはそれに気づき、患者に薬を渡さずに帰ります。薬局の主人は、薬はどうしたのかと責め、ジョージを殴りつけますが、自分の間違いに気づき、それからジョージを何かと応援してくれる存在になります。ジョージはやがて高校を卒業して、世界に羽ばたこうと夢見ていたのですが、お父さんが亡くなってその住宅ローン会社の経営を引き継ぐことになります。彼は、町の貧しい人々に住宅を提供しようと、低利で、良心的に貸し付けを行います。ところが、そこに敵がいました。ポッターという金融業者で町の有力者でした。彼は貧しい人々の味方をするジョージのやり方が気に入らず、陰険な手口でジョージの仕事をじゃまします。そしてついに、策略を巡らしてジョージを破産に追い込むのです。巨額の借金を抱えてジョージはいろいろと努力しますが、やがて万策尽きて、自殺をしようと川に飛び込みます。そこに、クラレンスという名前の一人の男が現れて彼を助けます。この男は、翼を持たない天使で、ジョージをうまく救えば神さまから翼をもらえることになっていました。天使クラレンスにジョージは、「僕なんか生きていても何の値打ちもない。」と言います。「僕がいなければ、みんなはもっと幸せになった。僕の家族もだ。」と絶望的な彼の言葉に、その天使は、「じゃあ、君の思いを叶えよう。君は生まれてこなかった。存在しなかった。その世界を見に行こうじゃないか。」そう言って、天使はジョージを彼が存在しない世界に連れて行きます。ジョージがそこで見たものは、すさんだ町でした。弟は氷の穴に落ちて死んでいました。薬屋の主人は劇薬を売り、投獄され、出獄してからも惨めな人生でした。ジョージと結婚するはずの妻メアリーは暗い人生を送っていました。そして貧しい人たちの住宅は何一つなく、そこには墓地が広がっていました。そして何よりも、人々の心が荒んでいました。金融業者のポッターがすべてを支配していました。妻であるはずのメアリーに出会っても、彼女は知らないと言い、逃げ出します。錯乱状態になったジョージは、自分が入水自殺をした現場まで必死に走ります。その橋の上で、彼はもとの世界に帰り着くのです。彼を探していた警官が彼を知っている。みんなが彼を知っている。町は元通り。そのことに気づいたジョージは、「メリー・クリスマス!メリー・クリスマス!」と言って町中を走り回ります。この町には自分の存在がある!家族がいる!友人がいる!これまでの長い人生の中で彼が手をさしのべた町の人々がいる!ジョージは、家に戻ると、万歳と言うのです。それは、クリスマス・イブの夜でした。
 私たちは生まれてから今まで、無数の足跡をこの世界に残しています。あなたの足跡は、至る所に残されているのです。自分の人生が他の人々の人生と絡み合い、混じり合って、この社会、この歴史という織物を織り上げているのです。存在しなったらよかった。そんな人は誰一人としていません。ジョージにそのことを気づかせてくれたのは、天使クラレンスでした。ジョージのこれまでの存在は、他の人々に大きな影響を与えていました。弟や薬局の主人、妻のメアリーもまたジョージに大きな影響を与えていました。
 今年の夏、ある真言宗の、位の高いお坊さんが、私に「人間の世は、ジグソーパズルのようなものです。一人の思いだけでは隣のピースとかみ合わない。みんなが少しずつ、形を変えながら、相手を受け入れる。それで、一枚のパズルができあがる。存在しないでよいピースは一つもない。」と語ってくれたことを思い出します。それは、仏教用語の「因縁」つまり「因果関係」ということについての説明の中でしたが、私は、本当にそうだなと共感いたしました。「存在しないでよいピースは一枚もない。」それは、神さまが造られたこの世界についても言えることです。私たち一人一人、自然界の一つ一つの花、木、山、動物、それらはみな、神の創造の秩序の中で大切な位置を占めています。そして、私たち一人一人に、神さまは二つとない存在理由を与えて下さっているのです。旧約聖書イザヤ書の中にこんな言葉があります。「わたしの目にあなたは価高く、貴い。」(43:4)神の目からは、私たちはみな貴い存在なのです。
 しかし、私たちの目は、この競争社会、効率第一の社会の中で曇らされています。自分の存在意義を見いだせないでいるのではないでしょうか。ご高齢者も、これまでの人生は何だったのだろうと寂しくなることもあるでしょう。子どもたちは、人よりもよい成績を取り、よい学校に進学しようとして、自信を失い、目的を失っています。仕事盛りの男性や女性も、ワーキングプアと言われる状況の中で、展望を失っています。子育てに疲れた女性も、さしのべられる手を待っています。さまざまな人が、自分を見失い、命を与えて下さり、限りない愛を注いで下さっている神を忘れています。しかし、羊飼いに真っ先に知らされたクリスマスの出来事は、かけがえのない自分の価値に気づかせてくれます。それが、私たちに対する最高のクリスマス・プレゼントなのです。
<祈り>
  天地万物をお造りになった神さま。あなたは2000年前の今宵、独りのみ子イエス・キリストをこの世に送り、私たちとまったく同じ人間として生まれさせてくださいました。感謝いたします。そして、世の中で大切な役割を果たしつつも小さくされていた羊飼いに、真っ先にその喜びを知らせて下さいました。私たちもまた、あなたによって造られ、大切な価値を与えられているにもかかわらず、自信が持てず、かけがいのない価値に気づくことができないでいます。イエスさまのご降誕は、私たちに生きる意味と存在の大切さに気づかせて下さる、私たちに対する最高の贈り物です。どうか私たちが日々、あなたによって造られ命を与えられていることに感謝し、頭を上げて、誇りを持って生きていくことができるように、あなたの恵みを注いで下さい。