2006/05/21 復活節第6主日(B年)
 
旧約聖書:イザヤ書45:11-13,18-19
使徒言行録:11:19-30
福音書:ヨハネによる福音書15:9-17
 
ステパノを祝福された主
 
 今日は、先ほど読んでいただきました使徒言行録に心を向けながら、しばし、み言葉に耳を傾けたいと思います。最初に「ステファノ(以前の訳ではステパノ)の事件」という言葉が出て参ります。これは一体なんでしょうか。その事件は、今日の箇所の少し前、使徒言行録7章に出て参ります。当時、初代教会ではヘブライ語を話すユダヤ人(ヘブライオイ)と、ギリシア語を話すユダヤ人および改宗者のグループ(ヘレニスタイ)がいました。もちろんイエス・キリストを主と仰ぐ点では一致していたのですが、生活の習慣や律法に対する考え方などを巡って、いろいろと意見の違いが存在していました。6章には、ヘレニスタイからヘブライオイに対して苦情が出ていた。それは「日々の分配のことで、仲間のやもめたちが軽んじられていた」からだと書かれています。おそらく、教会内で献げられた献金や食料を貧しい人に分け与える際に、不公平があったということでしょう。厳格な正統派ユダヤ人、つまりユダヤ教の律法を守り、自分たちこそ正しいという思いをファリサイ派から引き継いでいたヘブライオイたちは、異邦人(つまり外国人)に関することを極端に嫌っていました。異邦人は罪人であるという偏見を持ち続けていたのです。そのころが貧しい人々に対する配給の不公平となって表れたのです。
 12使徒がこの問題の実際的処理に忙殺されて本来の使命である祈りとみ言葉に専念できないのは良くないということで、教会の中に新たな職務が立てられました。それが奉仕者、つまり聖公会でいう執事(ディアコノス)です。最初に選出されたのは、「信仰と聖霊に満ちている人ステファノと、ほかにフィリポ、プロコロ、ニカノル、ティモン、パルメナ、アンティオキア出身の改宗者ニコラオ」であったと6章には記されています。この7人はいずれも、ギリシア語を話す「ヘレニスタイ」でした。そして使徒たちは祈って彼らの上に手を置いた、つまり「按手」したのです。使徒言行録には、「一同はこの提案に賛成し」「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えて」いったと書かれていますが、この7人が選ばれたということは、自らを選ばれた民と自認していたユダヤ人キリスト教徒にとっては、大きなチャレンジでした。7人の名前はみなギリシア風であり、ニコラオはユダヤ人に改宗した異邦人でした。彼らが執事として選ばれ、使徒たちから按手されたという事実を、ヘブライ語を話すユダヤ人たちはどう受け止めたでしょうか。
 7人の中でもぬきんでていたのがステファノでした。彼は、「みと力に満ち、すばらしい不思議な業としるしを民衆の間で行っていた。」と書かれています。執事という職務を超えて、彼は素晴らしい預言者の働きをしていたということができるでしょう。イエス・キリストの福音をユダヤ教とは鮮やかに対決する形で人々に伝えていたステファノは、当然にもユダヤ教指導部から妬まれ、逮捕され、最高法院において霊に満たされた熱烈な説教を行った後、石打の刑で殺されてしまいました。キリスト教というグループが誕生してから最初の殉教者です。今日の使徒言行録で言われている「ステファノの事件」とはこのことを指しています。この事件をきっかけとしてキリスト教徒に対する迫害が起こり、人々はフェニキアやキプロス、アンティオキアといった遠方まで避難したのです。多くのユダヤ人キリスト者は、ただユダヤ人にのみ伝道したのですが、中には、大胆に、異邦人に語りかけた人々がいたわけです。まず、2週間前に登場しましたフィリポですが、彼はサマリヤ人に、イエス・キリストのことを述べ伝えました。そして、エチオピアの宦官にも福音を伝え、洗礼を施したのです。また、10章では、ペトロがコルネリウスという百人隊長に会い、彼をクリスチャンとして受け入れます。そのときペトロには迷いがあったのですが、神に示された通り彼に会い、「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。」と語るのでした。
 そして今、アンティオケアにおいて、キリスト教は新しい恵みを受けることになります。キプロスやキレネ出身の人(元々ユダヤ人だったのか、異邦人だったのかははっきりしません)が、ステファノの示した道に従って、ギリシア語を話す人々に主イエスの福音を述べ伝えたのです。この人々の名前は記されていません。おそらく、そのような伝道者が複数おられたのでしょう。いずれにせよ、名もなきキリスト教の先駆者として彼らを称えるべきでしょう。彼らの働きによって、アンティオキアでしっかりとした教会が生まれ、以後使徒言行録の主要舞台はこの都市に移っていきます。アンティオキアは当時のローマ世界で、ローマとアレクサンドリアに次いで3番目の大都市で、人口は100万を数えていたといいます。その都会で、ユダヤ教の枠を本当の意味で突き破り、イエス・キリストの福音を受け入れた新しい教会が出発するのです。ここで、イエス・キリストを信じる人たちは初めて「クリスチャン」という美しい名前をつけられることになります。この呼び名ははじめは幾分軽蔑や揶揄を込めて「キリストに熱中している人々」という意味でつけられたのですが、それ以降、私たちは誇りをもって「クリスチャン」という名前を自らの呼び名として受け入れています。
 この噂を聞いたエルサレム教会は、バルナバをアンティオキアに派遣し、協力関係を求めます。バルナバとは「慰めの子」という意味だと聖書には記されており、彼はレビ人の出身でキプロス島生まれですが、自分の畑を売って教会に献金をした(つまり貧しい兄弟姉妹に惜しみなくキリストの愛を示した)といわれており、また、パウロの味方となって、早くから異邦人伝道の必要性を認めていた人です。彼はアンティオキアを訪問すると、「神の恵みが与えられた有様を見て喜」んだと書かれています。つまり、イエス・キリストの福音がギリシア語を話すユダヤ人だけでなく、異邦人、つまりユダヤ人以外にも大きく広がっており、教会が恵みの内に成長していることを喜んだのです。
 今日の使徒言行録に記されているアンティオキアの教会を巡る状況は、以上のようなものです。私たちは、ここに示されているバルナバの喜びを共にしたいと思います。そしてこの初代教会の経験から私たちは大切なことを学ぶことができると思うのです。ヘブライ語を話すユダヤ人たちは、はじめ自分たちこそが正統な信仰の持ち主だと誇っていました。しかし、神が祝福され、信仰の実りを勝ち得たのは、ステファノ、そしてアンティオキアに福音を述べ伝えたギリシア語を話す人々、バルナバ、そして教会を形成していった異邦人たちでした。それは、彼らこそ、民族や文化を乗り越えて「互いに愛し合いなさい」というイエスさまの教えを実践した人々だったからです。私たちは、キリスト教の歴史の中でも、このような対照的な状況を至る所に見ることができます。一つの代表的な例が南アフリカの教会でしょう。この国は長い間、オランダ系の白人が支配し、人口の大多数を占める黒人は「人種隔離政策(アパルトヘイト)」のもとで、生活のあらゆることについて差別されていました。遣うトイレも別。鉄道の車両も別。徹底していました。住居といえば、黒人はごみごみした、下水もないところに詰め込まれ、一方白人は豪華な邸宅に暮らしていました。そんな中で教会はどのような態度をとったでしょうか。ある教派は、白人のみに伝道し、白人のみの礼拝を行い、当然にもアパルトヘイトを支持していました。キリスト教は白人のもの、教会も白人のものだと考えていたのです。しかし、抑圧され、差別されていた黒人に大胆に伝道し、彼らと共に生きようとした教会もありました。その先頭に立ったのが、後にノーベル平和賞を受賞した聖公会のツツ大主教(ケープタウン教区)でした。彼らは、人種や民族で人間を区別する政策の愚かさを世界に訴え、ついに1994年、黒人のマンデラ大統領が誕生し、アパルトヘイト政策は廃止されました。しかし、今なお、多くの格差は残っています。同志社大学の森先生が1999年に南アフリカを訪問されたときの報告を書かれています。「白人の町ですから、いろんな白人の教会へ行きました。3週間いましたから3回日曜日があったんです。毎日曜日の朝と夕方2回、いろんな教派の教会へ行って礼拝に参加しました。黒人はどうかというと、黒人もいることはいます。ステレンボッシュという町は昔のオランダ植民地時代の建物が残っているとてもきれいな町なんです。ところが車で10分ほどの町外れまで行くとひどいバラックが続いているのです。このバラックにはトイレもなければ水もない。共同トイレと共同水道だけのひどい所です。ここに黒人はいるのです。」「未だに南アフリカでは国民の10%の人が土地の70%を持っているのです。黒人の失業率は41%もあるのです。そして黒人はひどいバラックに住み、白人は瀟洒な家に住んでいるのです。」南アフリカには課題が山積しています。しかし、大胆に黒人の間に福音を述べ伝え、彼らと共に歩んだ教会は今、急成長しています。聖公会も、人々の和解と正義の実現に大きな役割を果たしています。同じ聖公会の信徒として誇って良いのではないかと思います。
 これは遠いアフリカの話ではありません。日本において、教会がたどってきた道を振り返ってみて、私たちは十分に、民族や様々な身分格差、社会的格差を乗り越えて、人々を結びつけてきたと言えるでしょうか。キリスト教が伸びない、一部のインテリの宗教にとどまっている、そんな声もよく聞かれます。その指摘が全面的に当たっているのではないにせよ、私たちは謙虚に耳を傾ける必要があると思います。差別というだけではありません。私たちはつい、自分たちの教会が大切だという意識から、扉を閉ざしがちになります。そして、知らず知らずのうちに、教会から人々を閉め出してしまいます。神は、ステファノを祝福されたのです。私たちは、ヘブライ語を話すユダヤ人になってはいないでしょうか。
 
<祈り>
 神よ、み子イエスキリストの昇天を目前に控え、私たちは聖ステパノの働きを覚えて祈ります。あなたは、人類すべてに救いの業を及ぼすためにステパノを用い、異邦人に対する宣教の道を開いてくださいました。どうか私たちが、すべての民族的対立や差別を乗り越えて、互いに愛し合うことができますように、お導き下さい。