2005年2月12日 顕現後第6主日聖餐式
旧約聖書:列王記下5:1-15b
使徒書:コリントの信徒への手紙一 9:24-27
福音書:マルコによる福音書1:40-45
差し伸べられた手
先日の新聞に、日本の植民地統治下の時代に、韓国や台湾、パラオ、サイパンなど国外のハンセン病療養所に入所させられていた人たちに対して、日本がすべて補償するというハンセン病補償法の改正案が自民党から国会に提出されるということが報道されていました。日本が当然担うべき責任を果たすという意味で、歓迎すべき方向だと思います。また、本日は「ハンセン病問題啓発の日」と定められており、全国の聖公会の教会でそのための祈りが献げられます。そのことを覚えて、今日のみ言葉を学んでまいりたいと思います。
ハンセン病(以前はライ病と呼ばれておりました)の患者の方たちは、世界の歴史の中で、本当に悲惨な運命をたどってこられました。映画ベン・ハーの中にも出てまいりますが、この病気にかかった人は村八分にされ、隔離され、洞穴や離島に追いやられます。旧約聖書のレビ記13章45節以下には、「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。(…)その人は独りで宿営の外に住まねばならない。」と記されており、古代イスラエル社会でもハンセン病患者たちは徹底した隔離政策の犠牲になっていたことが分かります。このようにハンセン病は、以前は天刑病とも言われて非常に恐れられていた病気です。しかし、もともと伝染性がきわめて弱く、1943年に、治療薬プロミ ンが開発されて以降、次々と治療薬や治療法が発達し、現在では完全に治癒する病気となっています。ところが、外面的に現れる症状がひどいために偏見が生じ、歴史上長い間社会からの排除、隔離政策がとられてきたわけです。
今日の聖書には、「重い皮膚病」に関わる物語が2つ出てまいります。この「重い皮膚病」というのは以前は「ライ病」と訳されていましたが、第一に、「ライ病」という言葉には差別的な響きが込められているという理由から、第二に、聖書に記されている病気が「ハンセン病」かどうかははっきりしないという理由から、「重い皮膚病」と訂正されています。旧約聖書の列王記下に出てくる一つの物語は、アラムの軍司令官ナアマンがその重い皮膚病にかかって苦しんでいた、という話しです。アラムというのは、当時、イスラエルの隣国で、時にはイスラエルと対立し、時には同盟関係を結んでいた国です。その国の軍司令官ナアマンが重い皮膚病にかかっていたわけですが、そのナアマンにイスラエル人捕虜である少女がイスラエルの預言者エリシャのもとに行けば治してもらえると薦めるのです。そこで、ナアマンはエリシャのもとに行くのですが、エリシャはただ「ヨルダン川で身を清めなさい。」としか言わない。そこで、ナアマンは腹を立てるのです。「エリシャが直接癒してくれると思っていたのに、ヨルダン川で洗えというのか。それにヨルダン川よりもアラムの川の方がよほどきれいではないか。」と言うのです。このナアマンの反応はなかなか面白く、地元びいきという心理を表しています。東京の名所を褒められると、「そんなん、大阪にもあるわ。大阪の方がよっぽどええ」なんて思ってしまうのが人間です。この感情をそのまま推し進めますと、他者を排除する極端な愛国主義、故郷至上主義になってしまいます。ところが、ナアマンには彼を戒めてくれる優れた部下がいました。部下たちは彼をなだめて、身を清めさせます。すると、ナアマンの身体は見事に癒され、皮膚病は見事に治った。そしてナアマンは主なる神を信じるようになった。それが今日のお話です。神さまの力が、エリシャを通じて働き、さらにナアマンの部下を通じて働き、異邦人であるナアマンに豊かな恵みと癒しを与えてくださった、ということだと思います。
福音書の方に目を向けてみましょう。今日の福音書であるマルコ福音書1:40以下は、イエスさまが「重い皮膚病」にかかった人を癒すという場面です。重い皮膚病にかかっている人がイエスさまのところに来て「癒してください」とお願いします。おそらく長い間社会から隔離、疎外されている人が、人々が集まっているところに来てイエスさまの前に現れるというのは、よほどの勇気と決意が必要だっだに違いありません。そのような必死の思いで出てきた患者に対してイエスさまは「深く憐れんで、手を差し伸べてその人に触れ、<よろしい。清くなれ。>と言われた。」と聖書には書かれています。以前にも申し上げましたが、ここではいくつかの大切なことがあります。一つは、「深く憐れみ」というイエスさまの心の動きを記した言葉です。これはもとのギリシア語で「スプランクニゾマイ」と言い、「はらわたがよじれる」という意味を持っています。相手の苦しみに共鳴し、自分の内臓までもが千切れるように痛む。それほどの共感を表します。生半可な同情ではないのです。私はそれを「共苦」と言い表してもよいのではないかと思っています。ちょうどイエスさまの十字架の下で、聖母マリアとマグダラのマリアがイエスさまを見つめながら共に苦しむ、その痛みがそれに当たるのではないでしょうか。そのような痛みを、イエスさまは、重い皮膚病を患った人に対して感じておられる。そして、神さまが私たちすべての人間に感じておられる。そういうことを、今日の福音書は語っているのです。エレミヤ書の31章20節には、北イスラエル王国の代表的な民族であるエフライムに対して「わたしは彼を憐れまずにはいられない」というみ言葉が記されていますが、これは以前の文語訳では「我がはらわた痛む」と訳されておりました。つまり北イスラエル王国の悲惨な運命に対して、主なる神がはらわたが痛むような苦しみを共に感じておられるということなのです。ちょうどこの箇所のすぐ前には、有名なラケルの嘆きの声が記されています。「ラマで声が聞こえる/苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む/息子たちはもういないのだから。」というところです。この言葉は、後の新約聖書のマタイによる福音書2章18節に、イエスさまの身代わりとなってヘロデ王に虐殺された多くの子どもたちの母親の嘆きの声を預言した言葉として取り上げられています。そしてイエスさまの母マリア自身もその苦しみを味わうことになるのです。わが子をいわれもなく殺され、悲しみの極みにいる母親たち。私たちは今日の世界でも、そのような母親の姿を写真やテレビでたびたび目にするのですが、その悲しみは本当に言葉では表現できないほどの悲しみです。そして、エレミヤ書が告げているのは、神さまはまさにその母親のように、いや、それ以上に、私たちの苦しみをご自身の苦しみとして感じておられるという事実なのです。もう一つ大切なことは、イエスさまが「手を差し延べて」重い皮膚病にかかった人に「触れた」ということです。ずっと長い間除け者にされ、差別され、忌み嫌われていた人に、イエスさまは温かい手を差し延べ、おそらく患部にも触れられたのでしょう。この人がどんな喜びに満たされ、励まされたか、言葉には言い表せないほどだったでしょう。
さて、イエス・キリストの癒しの業によって自ら癒され、ご自身も仲間の患者の救済のために一生を捧げられた聖公会沖縄教区の青木恵哉先生(1968年没)の働きに目を向けてみましょう。青木恵哉先生は、1893年に徳島県で生まれ、16歳でハンセン病を発病、23歳で大島青松園というハンセン病療養所に入園し、キリスト教信仰に入り、熊本の回春病院に転院、そこで日本のハンセン病者救済に私財を投じ一生を捧げたハンナ・リデルと知り合います。そしてリデルの勧めによって、沖縄へ永住伝道者として渡ることを決意します。それは、同じ病気に苦しむ人々にイエス・キリストによる救いの喜びを伝えると共に、実際に医療を施す施設を作り、肉体の救済をも実現したいという思いからでした。そして、沖縄の患者たちを尋ねてイエス・キリストの愛を語り、福音の種を蒔くと共に、療養所を建設するために奔走します。ところがハンセン病に対する偏見と恐怖から、住民の反対運動に会い、石を投げられ、妨害に遭います。しかし「一坪でもいい。だれからも文句を言われない土地がほしい」というふりしぼるような願いは消えてなくなりはしませんでした。青木恵哉と仲間の人々は、無人島であるジャルマに逃れ、そこから屋我地大堂原(ヤガジ・ウフドウバル)というところに青木恵哉先生の自費で3000坪の土地を求めて移り住みます。そこも人々が押しかけてきては、小屋を焼き払ったり、持ち物を壊したりしましたが、青木恵哉先生を始め患者たちは無抵抗で守り続け、やがて三年後にはその土地にハンセン病療養所・沖縄愛楽園が誕生するのです。国立療養所の歴史については、批判的な見方もあり、患者を隔離する役割しか果たさなかったという意見もあるのですが、青木先生の行動は、ご自身も同じ苦しみを持つ者として、まさに「共苦」の中から、ハンセン病患者の魂と肉体の救済を求める真剣で命がけの行動でした。そこには、批判を超えた真実があります。ハンセン病訴訟の全国原告団の曽我さんという方は、「とてもじゃないけど彼の生き方はまねができない」と語っておられます。
私たちはこの青木先生の生涯と業から、何を学ぶことができるでしょうか。イエス・キリストによる救いを経験した人間は、どのようにそれに応答すべきなのでしょうか。イエスさまが重い皮膚病の人々に差し伸べた手は、ハンセン病に苦しむ人々に差し伸べられた手であると同時に、実は私たち一人ひとりに対して差し伸べられた手です。イエス・キリストは、はらわたが千切れるような思いで私たちそれぞれの苦しみを担い、手を差し伸べてくださっているのです。その差し伸べられた手を、私たちはしっかりと握りしめているでしょうか。まず、イエスさまの手を握りしめることが大切だと思います。そして、イエスさまの、つまり神さまの私たちに対する愛と恵みをしっかりと感じ取ることです。そして、それに対して私たちのすべてを投げ出して応えていく、それが私たちの信仰の姿ではないかと思います。青木恵哉先生の生き方の中に、その信仰の姿を私たちは見ることができるのではないでしょうか。
<祈り>
「ハンセン病問題啓発の日」の祈り
慈しみ深い神よ、御子イエス・キリストは重い皮膚病(ことにハンセン病)を患った人々を癒され社会の中で生きることを示してくださいました。しかし、ことにハンセン病への偏見と差別のため、完治しているにもかかわらず、今もなお、共に生きる社会が実現できないでいることに痛みを憶えます。どうか、すべての人々が、この病気の事実、また回復者の現実など、ハンセン病をめぐる問題を理解することによって、み心にかなう社会を建設することができますように。多くの苦しみの中にある人々の友となり歩まれたみ子、わたしたちの主イエス・キリストによってお願いいたします。 アーメン