2006/12/24 降臨節第4主日聖餐式
 
 
マリアの信仰
 
 明日はクリスマス。教会ではまだ、そのクリスマスを待ち望むアドベント、降臨節の最後の主日ですから、降臨節第4主日の礼拝をみなさんと共に献げていますが、気分はほとんどクリスマス。なんとなく、浮き浮きしてきます。でも、ケーキ焼きやいろんな準備で忙しくて、それどこではない、という方もおられるでしょう。今日の昼からはクリスマス祝会です。みなさん、ご一緒にこの喜ばしいひとときを分かち合おうではありませんか。
 さて、今日の聖書日課には、一つの共通したテーマが含まれています。それは、神さまは本当に小さな、謙虚な存在に目をとめられるということではないでしょうか。旧約聖書のミカ書5章1節は、マタイ福音書2章6節の中で、ヘロデ大王の「メシアはどこに生まれることになっているのか」という問いに対する答えとして律法学者たちが引用した預言として有名です。マタイ福音書にはこうなっています。『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』そしてその預言通り、旅先のベツレヘムで、しかも出産間近のマリアとヨセフを泊めてくれる宿屋とてなく、悪臭のむせかえる家畜小屋で、イエス・キリストはお生まれになったのです。いわば地球の片隅で、数人の羊飼いと東方からの来訪者以外には誰からも見向きもされなかったこの幼子が、今ではすべての人の救い主として、世界中でその誕生が祝われています。神は、最もちいさなベツレヘムを用いて、最も大きなことをなさったわけです。
 おとめマリアにイエス・キリストが宿られたということもまた、神さまのなさった不思議な業です。マリアは13歳か14歳ぐらいのいとけない少女でした。当時の身分社会の中では底辺に置かれた貧しい家庭に生まれ、当時の習慣として、親の決めた許嫁と婚約をすることになりました。同じく貧しい大工のヨセフでした。ところがその少女マリアにとんでもないことが起こります。突然天使が現れて、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。あなたは身ごもって男の子を産む。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。」と告げるのです。ダヴィンチや多くの画家が描き出しているいわゆる受胎告知の場面です。それはまったく青天の霹靂でした。だいたいマリアは一度も男性と関係したことはありません。しかも、当時のイスラエルでは結婚前に子供ができたり、いわゆる婚姻関係以外で子供を産んだりすると、石打の刑になるという掟がありました。そんな天使の申し入れを簡単に受け入れることができるはずはありません。しかし、天使はなおも続けます。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。神にできないことは何一つない。」これを聞いてマリアは、それを全面的に受け入れる決断をいたします。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」(この言葉は、ビートルズのLet it beになって私たちの世代には誰一人として知らない者がない言葉になっています。)聖書には書かれていませんが、その決断に至るまではおそらく悩み苦しんだことでしょう。しかし、彼女は、「いと高き方の力があなたを包む」という言葉、神によって全面的に肯定され、信頼されているという事実、そして「主があなたと共におられる」、インマヌエル(主われと共にいます)という約束を心から信じ、神を全面的に信頼するのです。悩み苦しんだという点では婚約者のヨセフもまた同じでした。一時は、婚約破棄すら考えます。しかし彼もまた、天使の言葉を信じ、生まれてくる子供の父親として、その保護者として生きようと決心するのです。
 本日の福音書は、そのマリアの物語の続きです。親戚のエリサベトも妊娠している、という天使の言葉に従って、エリサベトのところに会いに行き、そのことが事実であることをその目で知ります。そのエリサベトの子供がやがて洗礼者ヨハネ、イエス・キリストの露払いであるヨハネになるのです。マリアがそのとき語った言葉が、今日の47節以下に記されています。私たちが夕の礼拝で唱える「マリアの賛歌(おとめマリアの頌)」です。今夕のキャンドルライトサービスでも歌います。その中にこんな部分があります。「身分の低い、この主のはしためにも/目を留めてくださったからです。」「主はその腕で力を振るい、/思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、/身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、/富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、/憐れみをお忘れになりません。」ここに私は、最も小さい者に目をとめられる神と、その神に対する全面的な信頼と信仰を感じ取ることができるのではないでしょうか。先日聖公会のある信徒の方から、「マリアに対する態度は、カトリックと聖公会とではどう違うのですか。」という質問を受けました。伝統的には「聖公会ではイエスの母マリアに対する崇敬の念は抱くが、崇拝・信仰の対象とはしない」とい言われています。それはその通りだと思います。ですから私たちの教会では、マリアの像は置かないわけです。この問題では今、世界の聖公会とカトリック教会の間で話し合いがもたれており、その報告書もでております。確かに違いがある。しかし、このマリアの信仰に関する限り、それは私たちの模範となる素晴らしい信仰です。私たちにはそんな真似はできない。しかし、その信仰を模範として仰ぎ見る。その態度は間違ってはいないのです。しかも、ともすれば男性中心になってしまうこの社会の中で、女性であり母であるマリアを大切にすることは、教会が母のように人々をやさしく包み込む、癒す存在であることにつながっていくのではないでしょうか。
 「お言葉通りこの身に成りますように」というマリアの言葉は、「神さま、どうぞ私をみ心のままに用いてください。」ということを表しています。このマリアの信仰を受け継ぎ、神さまの一見無理難題とも思える召命に応えた方は、私たちの信仰の先輩の中にもたくさんおられるのではないかと思います。水曜日の晩、何気なくテレビのスイッチを入れてみて驚きました。いきなり、美しい教会のシーンが写っているではありませんか。明らかに聖公会の聖堂です。「川口基督教会に似ているな」と思ってみていると、それは『その時歴史が動いた』という番組でした。ご覧になった方もおられるかと思います。東京にあります滝乃川学園を担った石井筆子(彼女は聖公会の信徒でした)についての特集でした。登場した教会は川口基督教会そのものでした。ちなみに川口教会では11月11日にロケが行われたそうです。石井筆子については以前にも礼拝でお話ししたことがありますが、映像で見て、改めてその崇高な精神と謙虚でありながら強靱な信仰に感銘を受けました。彼女は津田梅子と並ぶ明治初期の近代女子教育の代表者で、フランスに留学し、華族女学校の教師として活躍しました。また、しばしば鹿鳴館での舞踏会にもしばしば参加し、「鹿鳴館の華」と呼ばれるほどでした。しかし、結婚後、生まれた3人の子供のうち、2人が障碍を持つ子供として生を受け、夫とは早く死別するという運命に見舞われました。当時は今以上に、障害者に対する差別や抑圧のひどい時代、ちょうど富国強兵政策のただ中でしたから、強靱な体力と知能を持つ男子が尊ばれ、障害者は社会から排除されます。座敷牢に閉じこめられることも多かったようです。彼女一人で子どもを育てることは困難を極めます。彼女は絶望し、子どもと共に死ぬことすら考え、そして、救いを求めて教会に足を運んでは祈るのです。ところが、そのどん底の中で、彼女に希望を与える出会いが与えられたのです。それは、石井亮一との出会いでした。立教女学院の教師であった石井は、障害児の教育に一生を献げるためアメリカに渡り、当時最先端の障害児教育の理論と実践を身につけて、障害児のための学校、滝乃川学園を始めていました。そこを訪れた筆子は、子どもたちに対する亮一の愛情と、絶対に子どもたちの成長を支援することができるという信念に感動します。亮一の子どもたちに対する愛は、ある子どもがどうしても学ぼうとしないときに次のように言ったことからも、よく分かります。彼は「ある時、『僕の教え方が下手なんだね。じゃあ、先生はごはんを抜きにするよ』と言ったところ、初めて彼女は僕に心を開いてくれたんです。」と子どもに語りかけたというのです。亮一は後にこうも語ります、「人は、誰かを支えている時には、自分のことばかり考えるけれど、実は相手からどれだけ恵みをもらっているかは、気づかないものだよ。」そこには、徹底して子どもたちに仕えようとするひたむきな姿が見られます。そして、筆子はこの滝乃川学園に自分の子どもを託するとともに、その事業に自ら身を捧げ始めます。やがて神の前に結ばれた(この結婚式もまた、川口教会の場面が使われています)二人は、力を合わせて滝乃川学園を盛り立てていきます。火事にあったり、夫に先立たれ、戦争の中でどうしても学園を続けることができなくなったときに、筆子は「先生、しばらくごぶさたいたしました。おかわりはありませんか。ぼくは毎日働いておりますからご安心下さい。」という卒業生からの手紙や、子どもたちの姿を思い起こし、脳溢血で自由のきかない身体をおして76歳で第二代の学園長に就任し、最後の命を燃やすのです。そのときの筆子の言葉が、「いばら路を 知りてささげし 身にしあれば いかで撓 (たわ) まん 撓 (たわ) むべきかは」というものでした。明日の5時15分から再放送がありますので、機会があれば是非ご覧下さい。聖公会の先輩には、本当に素晴らしい方々がおられたのだと、誇りすら感じる番組でした。
 この日本最初の障害児教育施設、滝乃川学園は現在も国立市で活動しており、聖公会手帳にも載っています。その教育理念は、「いと小さき者になしたるは、即ち、我になしたるなり」(マタイ福音書25:40)というみ言葉でした。石井筆子は、子どもたちに仕えることで、神に対する従順を貫いたとも言えるのはないでしょうか。自分に負わされたあまりにも重い運命。しかし彼女は、そこから逃げることなく、やがて神がその栄光を表すために自分を用いておられるのだということに気づきます。Let it be「お言葉どおり、この身になりますように。」おとめマリアが示した信仰の模範の通り、主われとともにいますということを信じつつ、筆子は神の命じるまま、一生を「いと小さき者」のために献げ尽くしたということができるように思います。
 最後に、筆子が愛唱した聖歌433番の1番と3番の歌詞を読ませてください。テレビでも紹介されています。皆様ご存じの歌です。ともに分かち合いましょう。
一 いつくしみ ふかき 主の 手に ひかれて この世の たびじを あゆむぞ うれしき
  ※ いつくしみ ふかき 主の ともと なりて み手に ひかれ つつ あめに のぼり ゆかん
三 けわしき やまじも おぐらき たにまも 主の 手に すがりて やすけく すぎまし
  ※部おりかえし
 
 
<祈り>
 いつも豊かな恵みをお与え下さいます神さま。あなたは2000年前、独りのみ子イエス・キリストをこの世に送り、おとめマリアから生まれさせてくださいました。どうか私たちがこのマリアのようにあなたを信頼し、「お言葉通りになりますように」「主よ、私を用いてください」と祈ることができますように、私たちに豊かな聖霊を注ぎ、私たちを清め、力づけてください。悲しいことの多い世の中ですが、どうかその中でも私たちがあなたのみ心を知り、あなたの呼びかけに応じることができますように。