聖霊降臨後第二十三主日 2013年10月27日(日)

 

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ルカによる福音書 18:9-14


9自分(じぶん)(ただ)しい人間(にんげん)だとうぬぼれて、他人(たにん)見下(みくだ)している人々(ひとびと)(たい)しても、イエスは(つぎ)のたとえを(はな)された。 10二人(ふたり)(ひと)(いの)るために神殿(しんでん)(のぼ)った。 一人(ひとり)はファリサイ()(ひと)で、もう一人(ひとり)徴税人(ちょうぜいにん)だった。 11ファリサイ()(ひと)()って、(こころ)(なか)でこのように(いの)った。『神様(かみさま)、わたしはほかの(ひと)たちのように、(うば)()(もの)不正(ふせい)(もの)姦通(かんつう)(おか)(もの)でなく、また、この徴税人(ちょうぜいにん)のような(もの)でもないことを感謝(かんしゃ)します。 12わたしは(しゅう)に二()断食(だんじき)し、全収入(ぜんしゅうにゅう)の十(ぶん)の一を(ささ)げています。』13ところが、徴税人(ちょうぜいにん)(とお)くに()って、()(てん)()げようともせず、(むね)()ちながら()った。『神様(かみさま)罪人(つみびと)のわたしを(あわ)れんでください。』14()っておくが、()とされて(いえ)(かえ)ったのは、この(ひと)であって、あのファリサイ()(ひと)ではない。だれでも(たか)ぶる(もの)(ひく)くされ、へりくだる(もの)(たか)められる。」

新共同訳聖書

牧師コーナー/今週のメッセージ

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台風一過の秋晴れにコスモスが輝いていました。

今日の福音書を本田哲郎神父は「鼻持ちならない『優等生』の祈りと神の心をうごかす、『道をふみはずした者』の祈り」とタイトルをつけています。このたとえは自分を正当な信仰者と自認する人々に向けられています。道をふみはずしたとはギリシャ語の「的外れ」から来ています。神様が私たちに示された的は何でしょうか。その的を見つめつつ自己を吟味するときに、「神よ、道をふむはずした私を受け止めてください」と祈れるのでしょう。

牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)

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