言は肉となって、わたしたちの間に宿られた
わたしの咽喉が痛いとき
あの子の咽喉も痛み
わたしが夜 咳をする時
あの子も眼をさまして咳をする
わたしがママから叱られて泣く時
あの子も一緒に泣いている
夕陽にうつるわたしの影法師のように
あの子はいつもわたしと一緒だ
山口千壽 司祭
幼い頃から病身で入退院を繰り返し、11歳で死んでいった女の子の詩です。この詩の「あの子」は、イエスさまを指しているのでしょう。頑強な肉体ではなく、弱い肉体、滅んでいく肉体、弱さをもった人間そのものにイエスさまがなってくださった。そして影法師のようにいつも一緒にいてくださる。
この詩は、病気の少女が、独りぼっちのベッドの上から、自分の願い、こうあったらいいなという欲求、そして肉体と心の苦しみからの解放と連帯を、ただ単に述べただけではないでしょう。一緒に痛み、咳をし、一緒に泣いた「あの子」がいたから、11年のいのちの道を歩み通せた。その証ではないでしょうか。
この弱い肉体こそが、神さまとの出会いの場、正しくインマヌエル、「神は我々と共におられる」ことを体験する場となるのです。そこでイエスさまは神さまの慈しみを示し、隠された形をとって栄光を輝かされるのです。クリスマスは、そのような恵みの出来事なのです。
ご一緒に主イエスさまのご降誕を祝いましょう。
司祭 ヨハネ 山口 千壽