日本聖公会 聖マーガレット教会
〒167-0054 東京都 杉並区 松庵1-12-29
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25大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。
26「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。
27自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。
28あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。
29そうしないと土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、30『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。
31また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。
32もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。
33だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」
新共同訳聖書
◆今日の福音書でイエスの真の弟子となる覚悟が問われます。憎むという言葉が出てきますが、「自分自身さえも後回しにする腹がなければ」という本田訳がわかりやすいでしょう。イエスの弟子となるために、家庭・命・財産への執着を捨て去ることが必要だと示しています。生活の中心になるのが財産ではないのだと言われています。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦