聖霊降臨後第十六主日 2013年9月8日(日)

 

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ルカによる福音書 14:25-33


25大勢(おおせい)群衆(ぐんしゅう)一緒(いっしょ)について()たが、イエスは()()いて()われた。 26「もし、だれかがわたしのもとに()るとしても、(ちち)(はは)(つま)子供(こども)兄弟(きょうだい)姉妹(しまい)を、(さら)自分(じぶん)(いのち)であろうとも、これを(にく)まないなら、わたしの弟子(でし)ではありえない。 27自分(じぶん)十字架(じゅうじか)背負(せお)ってついて()(もの)でなければ、だれであれ、わたしの弟子(でし)ではありえない。 28あなたがたのうち、(とう)()てようとするとき、(つく)()げるのに十分(じゅうぶん)費用(ひよう)があるかどうか、まず(こし)をすえて計算(けいさん)しない(もの)がいるだろうか。 29そうしないと土台(どだい)(きず)いただけで完成(かんせい)できず、()ていた人々(ひとびと)(みな)あざけって、30『あの(ひと)()(はじ)めたが、完成(かんせい)することはできなかった』と()うだろう。 31また、どんな(おう)でも、ほかの(おう)(たたか)いに()こうとするときは、二(まん)(へい)(ひき)いて進軍(しんぐん)して()(てき)を、自分(じぶん)の一(まん)(へい)(むか)()つことができるかどうか、まず(こし)をすえて(かんが)えてみないだろうか。 32もしできないと()かれば、(てき)がまだ遠方(えんぽう)にいる(あいだ)使節(しせつ)(おく)って、()(もと)めるだろう。 33だから、(おな)じように、自分(じぶん)()(もの)(いっ)切捨(さいす)てないならば、あなたがたのだれ一人(ひとり)としてわたしの弟子(でし)ではありえない。」

新共同訳聖書

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牧師コーナー

ユリとカーネーション

今日の福音書でイエスの真の弟子となる覚悟が問われます。憎むという言葉が出てきますが、「自分自身さえも後回しにする腹がなければ」という本田訳がわかりやすいでしょう。イエスの弟子となるために、家庭・命・財産への執着を捨て去ることが必要だと示しています。生活の中心になるのが財産ではないのだと言われています。

牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)

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