32小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
33自分の持ち物を売り払って施しなさい。
擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず虫も食い荒らさない。
34あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのだ。」
35「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。 36主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。 37主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。 38主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。 39このことをわきまえていなさい。 家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。 40あなたがたも用意していなさい。 人の子は思いがけない時に来るからである。」
新共同訳聖書
8月10~11日、姉妹教会の大館聖パウロ教会を、聖マーガレット教会の前田司祭と信徒4人で訪問し、ともに礼拝を献げました。大館市は前週金曜日に歴史的な大雨に襲われましたが、幸い教会に被害はありませんでした。大館聖パウロ教会では玄関横に厨房等を増築する工事が始まっていました。
◆今日の福音書はクリスチャンが「目を覚まして待つ」ことにポイントがあります。僕たちが目を覚ましているべき根拠は、主人が自ら帯を締めて給仕してくれる食事が用意されているからです。これはイエスが再び来るときに実現する神の国の食卓を表しているのです。どんな状況でも帯を締めて待つようにと教えています。
◆本田哲郎神父は「主(小さくされた者)の訪れに、いつでも対応できるように用意していよ」というタイトルをつけています。主はどのような姿でやってくるのか、ということを思い返すことが必要なのかもしれません。目を覚ますや身支度をしておくことはクリスチャンの基本的な姿勢だと考えてよいでしょう。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦