21そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。
22皆はイエスをほめ、その口から出る恵み深い言葉に驚いて言った。「この人はヨセフの子ではないか。」
23イエスは言われた。「きっと、あなたがたは、『医者よ、自分自身を治せ』ということわざを引いて、『カファルナウムでいろいろなことをしたと聞いたが、郷里のここでもしてくれ』と言うにちがいない。」24そして、言われた。「はっきり言っておく。預言者は、自分の故郷では歓迎されないものだ。
25確かに言っておく。エリヤの時代に三年六か月の間、雨が降らず、その地方一帯に大飢饉が起こったとき、イスラエルには多くのやもめがいたが、26エリヤはその中のだれのもとにも遣わされないで、シドン地方のサレプタのやもめのもとにだけ遣わされた。
27また、預言者エリシャの時代に、イスラエルには重い皮膚病を患っている人が多くいたが、シリア人ナアマンのほかはだれも清くされなかった。」 28これを聞いた会堂内の人々は皆憤慨し、29総立ちになって、イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落とそうとした。
30しかし、イエスは人々の間を通り抜けて立ち去られた。
汚れた霊に取りつかれた男をいやす
31イエスはガリラヤの町カファルナウムに下って、安息日には人々を教えておられた。
32人々はその教えに非常に驚いた。その言葉には権威かあったからである。
新共同訳聖書
◆今週の福音書を読むとガリラヤでイエスの言葉に接した人は「その口から出るゆたかな言葉をいぶかしく思い、口々に『この人は、ヨセフのせがれではないか』と言った」とあります。小さい頃から知っているイエス。石切工ヨセフのせがれだということがイエスの豊かな言葉につまずくのです。クリスチャンとして生きるときに似たような体験を皆さんもされたのではありませんか?日本社会でキリスト者として生きることを告白するとあたかも全く違う人のように扱われることもあるでしょう。「クリスチャンなら酒もタバコも飲まないよね?」とこの世の作ったクリスチャン像を当てはめようとします。神に従って生きようとすることはこの世から逃げることではなく「人を大事にする生き方」で対抗することではないでしょうか。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦