13群集の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」
14イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」
15そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。
有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」
16それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。
17金持ちは、『どうしよう。
作物をしまっておく場所がない』と思いを巡らしたが、18やがて言った。『こうしよう。
倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、19こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』20しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。
21自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」
新共同訳聖書
聖マーガレット教会聖堂の耐久化と、エネルギー効率や防音性を高めるために、外部(屋根・外壁・サッシ)改修工事が始まりました。
◆今日の福音書は一言で言えば「おろかな金持ちをうらやむな」ということに尽きます。人は誰でも「豊かになりたい」と願って生きます。イエスは豊かになることの方向が間違っていることを教えます。自分のために富を蓄えるのではなく、神のために富を生かすようにと勧めています。富を蓄えるのではなく「生かす」ことだと言うのです。人は自分のことを中心に置く生き方に傾きがちです。しかし、イエスは富を生かすように用いることの大切さを教えているのでしょう。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦