聖霊降臨後第五主日 2013年6月23日(日)

 

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ルカによる福音書 9:18-24


18イエスがひとりで(いの)っておられたとき、弟子(でし)たちは(とも)にいた。 そこでイエスは、「群衆(ぐんしゅう)は、わたしのことを何者(なにもの)だと()っているか」とお(たず)ねになった。 19弟子(でし)たちは(こた)えた。「『洗礼者(せんれいしゃ)ヨハネ』だと()っています。ほかに『エリヤだ』と()(ひと)も、『だれか(むかし)預言者(よげんしゃ)()(かえ)ったのだ』と()(ひと)もいます。」 20イエスが()われた。「それでは、あなたがたはわたしを何者(なにもの)だと()うのか。」ペトロが(こた)えた、「(かみ)からのメシアです。」

 21イエスは弟子(でし)たちを(いまし)め、このことをだれにも(はな)さないように(めい)じて、22(つぎ)のように()われた。「(ひと)()(かなら)(おお)くの(くる)しみを()け、長老(ちょうろう)祭司(さいし)(ちょう)律法(りっぽう)学者(がくしゃ)たちから排斥(はいせき)されて(ころ)され、三日目(みっかめ)復活(ふっかつ)することになっている。」 23それから、イエスは(みな)()われた。「わたしについて()たい(もの)は、自分(じぶん)()て、日々(ひび)自分(じぶん)十字架(じゅうじか)背負(せお)って、わたしに(したが)いなさい。 24自分(じぶん)(いのち)(すく)いたいと(おも)(もの)は、それを(うしな)うが、わたしのために(いのち)(うしな)(もの)は、それを(すく)うのである。

新共同訳聖書

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今日の福音書でイエスは自分のことを何と言っているのかと問います。また弟子にも同様に問います。その中で「自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言います。自分の十字架を背負うということを考えると、それぞれに負わなければならない固有のこともあるでしょうが、イエスを信じて歩むが故の困難を指す言葉と理解することが出来ます。キリスト者として生き抜くことは簡単ありませんが、神の導きを信頼して歩むことが「信仰の歩み」です。

牧師 司祭 バルナバ 前田(まえだ) 良彦(よしひこ)

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