60ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」
61イエスは、弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたはこのことにつまずくのか。
62それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば・・・・・・。
63命を与えるのは“霊”である。
肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。
64しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちがだれであるか、また、御自分を裏切る者がだれであるかを知っておられたのである。
65そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、『父からお許しがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない』と言ったのだ。」
66このために、弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエスと共に歩まなくなった。 67そこで、イエスは十二人に、「あなたがたも離れて行きたいか」と言われた。 68シモン・ペトロが答えた。「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。69あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」
新共同訳聖書
◆今日の福音書は弟子のつぶやきから始まっています。多くの弟子たちはイエスのもとから離れていきます。何につまずいたのでしょうか。「わたしは天から降ってきた」なのか「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠の命を得る」でしょうか。ユダヤ人もまたつまずきます。彼らの目にはイエスはナザレの石切工ヨセフの子です。イエスの語る言葉に神様のみ旨があることが響いてこないのです。十二弟子を代表してペテロは「わたしたちは信じ、知っている」(原文)という信仰を表明します。パンの奇跡を見てイエスを王にしようとした者たちは、イエスが真の食卓を約束したとき、背を向けて去っていきます。彼らは「信じて知る」ことができなかったのでしょう。私たちもまた、信じて知る道を歩みたいものです。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦