37「父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。
38わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。
39わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。
40わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」
41ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から降って来たパンである」と言われたので、イエスのことでつぶやき始め、42こう言った。「これはヨセフの息子のイエスではないか。 我々はその父も母も知っている。どうして今、『わたしは天から降って来た』などと言うのか。」 43イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。 44わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。 45預言者の書に、『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。 父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。 46父を見た者は一人もいない。 神のもとから来た者だけが父を見たのである。 47はっきり言っておく。 信じる者は永遠の命を得ている。 48わたしは命のパンである。 49あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べたが、死んでしまった。 50しかし、これは、天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。 51わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」
新共同訳聖書
◆パソコンや携帯電話などを用いてツイッタ―(つぶやく)という方法で交流する方法があります。このつぶやくのは電子機器をつかって独り言を言うのですが、聖書の語る「つぶやき」は指導者に対するあからさまな不平とか批判であったり、指導者の力量を疑って不適任だときめつける強い意味があります。本日の福音書でもユダヤ人たちが「これはヨセフの息子のイエスではないか。・・・」とつぶやき始めます。イエスの語る言葉を受け入れることが出来ないだけでなく、自分たちの求める指導者とは違っていたからでしょう。イエスの語る言葉に耳を傾けること、まづ聞くことから信仰は始まることを大事にしたいものだと思います。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦