22会堂長の一人でヤイロという名の人が来て、イエスを見ると足もとにひれ伏して、23しきりに願った。「わたしの幼い娘が死にそうです。どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」
24そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。
大勢の群衆も、イエスに従い、押し迫って来た。
35b 会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」
36イエスはその話をそばで聞いて、「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。
37そして、ペトロ、ヤコブ、またヤコブの兄弟ヨハネのほかは、だれもついて来ることをお許しにならなかった。
38一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て、39家の中に入り、人々に言われた。「なぜ、泣き騒ぐのか。
子供は死んだのではない。
眠っているのだ。」
40人々はイエスをあざ笑った。しかし、イエスは皆を外に出し、子供の両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行かれた。
41そして、子供の手を取って、「タリタ、クム」と言われた。これは、「少女よ、わたしはあなたに言う。
起きなさい」という意味である。
42少女はすぐに起き上がって、歩きだした。もう十二歳になっていたからである。それを見るや、人々は驚きのあまり我を忘れた。
43イエスはこのことをだれにも知らせないようにと厳しく命じ、また、食べ物を少女に与えるようにと言われた。
新共同訳聖書
◆本日の福音書はヤイロ(会堂司)の娘の奇跡が用いられています。宗教指導者であったヤイロは自分の娘の重い病気に何も出来なくなっています。これは誰でもそうなのでしょう。愛する者を失わなければならないことになれば冷静でいることなど出来ないでしょう。死と向き合うことなど到底出来ないのです。けれども愛する者を失おうとするときに自分の無力さを覚え、祈りへと結びつけられます。藁をも掴むようにイエスに縋ったのです。「恐れるな、信じよ」とのイエスのみ言葉に触れて信頼しきった時に死を超えるイエスと出会ったのです。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦