ナザレで受け入れられない
1イェスはそこを去って故郷にお帰りになったが`弟子たちも従った。
2安息日になったので、イエスは会堂で教え始められた。
多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。この人が授かった知恵と、その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。
3この人は、大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。
姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」このように、人々はイエスにつまずいた。
4イエスは、「預言者が敬われないのは、自分の故郷、親戚や家族の間だけである」と言われた。
5そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。
6そして、人々の不信仰に驚かれた。
それから、イエスは付近の村を巡り歩いてお教えになった。
新共同訳聖書
◆本日の福音書はイエスにつまずく人々が記されています。つまずくの元々の語源は「ピシャリと跳ねる、閉じる」です。そこから「罠」を意味するようになりました。聖書では「罠にかかる」「落とし穴にはまる」意味で使われています。故郷の人々がイエスを見誤る原因はイエスを「マリアの子ではないか。彼の兄弟姉妹はわれわれと一緒にいる」と思い、イエスは我々と同じ人間に過ぎない、神の子ではない、と思う時イエスの業やその背後にある神へと向かうことが出来ないのです。人間の常識にイエスの言葉と業を当てはめるとやはりつまずくのではないでしょうか。弟子のように従うことがつまずきから救う道なのでしょう。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦