31それからまた、イエスはティルスの地方を去り、シドンを経てデカポリス地方を通り抜け、ガリラヤ湖へやって来られた。
32人々は耳が聞こえず舌の回らない人を連れて来て、その上に手を置いてくださるようにと願った。
33そこで、イエスはこの人だけを群衆の中から連れ出し、指をその両耳に差し入れ、それから唾をつけてその舌に触れられた。
34そして、天を仰いで深く息をつき、その人に向かって、「エッファタ」と言われた。これは、「開け」という意味である。
35すると、たちまち耳が開き、舌のもつれが解け、はっきり話すことができるようになった。
36イエスは人々に、だれにもこのことを話してはいけない、と口止めをされた。しかし、イエスが口止めをされればされるほど、人々はかえってますます言い広めた。
37そして、すっかり驚いて言った。「この方のなさったことはすべて、すばらしい。
耳の聞こえない人を聞こえるようにし、口の利けない人を話せるようにしてくださる。」
新共同訳聖書
◆今日の福音は耳が聞こえず舌の回らない人を癒す奇跡の物語。6章から奇跡が続くが最後の奇跡となっている。マルコ福音書だけに出てくる奇跡だが、奇跡に至る動作が細かく記されている。イエスは「深い息をつく」が、この言葉は聖書では圧迫や苦難のゆえに引き起こされる「ため息」を意味している。しかもこのため息はそこから解放されたいという願いがある。パウロのロマ書では「うめき」と表現されている。パウロは全被造物と聖霊とキリスト者の「うめき」について述べています。イエスは耳がふさがれ、舌が回らない人の苦しみを自分の身に引き受けて深い息をついて「エッファタ」と叫ぶのです。このことによって耳と舌が開かれ人間を自由へと解放するのです。人間のうめきをイエスはうめいてくださる。そして神にわたしたちを執り成すうめきとなるのです。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦