35ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」
36イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、37二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」
38イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」
39彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。
40しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」
41ほかの十人の者はこれを聞いて、ヤコブとヨハネのことで腹を立て始めた。
42そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。
43しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、44いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。
45人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」
新共同訳聖書
教会近くの井の頭公園で
◆本日の福音書は「すべての人の僕となりなさい」とイエスは教えます。仕えるというのは主人の命令に従うということでありますが、僕の仕事はまさにそうでありました。イエスの弟子として生きるとはイエスの苦難の道を選びとることであるのです。苦難は誰しも逃げたくなるような道です。イエスは権力を振るう道ではなく、すべての人の僕となるように示すのです。この道は平坦な道ではありません。しかしその道は私たちを喜びへと導く道であることを教えています。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦