30一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
31それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。
殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
32弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
33一行はカファルナウムに来た。 家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。 34彼らは黙っていた。 途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。 35イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」 36そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。 37「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
新共同訳聖書
◆今日の福音書は受難と復活の予告が弟子に対して行われます。「人の子は、人々の手に引き渡され」とありますが、引き渡したのがユダであれば裏切るという意味になりますが、神が「引き渡した」と読むと「イエスの死が『神が受け入れる死』である」と弟子たちに教えるためであると考えてよいのでしょう。
◆先週の福音では「自分の十字架を背負って従いなさい」と教えていますが、今週は更に「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい」と教えています。
◆子供を抱き上げて、子どもをイエス自身として抱き上げることはイエスを受け入れることだと教えます。すべての人の中で最も低く、最も小さな者であるイエスを受け入れるようにと教えています。信仰とは「神に私たちが受け入れられている」ということを私たちが受け入れることでもあります。受け入れるということを学びたいものです。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦