9「 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。
10わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。
11これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。
12わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。
13友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。
14わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。
僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。
父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。
16あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。
17互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」
新共同訳聖書
◆本日の福音書の中心は11節の「・・・、わたしの喜びがあなたたちにあるように」と、「また、その喜びがいっぱいになるようにと願ってのことである」(本田哲郎訳)です。この喜びは「わたしがあなたたちを大切にしたように互いに大切にしあうこと、これこそ、私のおきてである。」と主が語られたように、この掟を守るときに与えられます。ぶどうの木につながっている枝が実をつけるように、イエスにつながり、愛の言葉に繋がると豊かな実を結ぶと言われます。「互いに大切にしあうこと」を目指す生き方はそれほど簡単なことではありません。むしろ難しいことかもしれません。人間は自分を優先させることが多いのです。他人を優先する生き方、キリストが愛したように人を大切にする生き方を求めなさいと言われています。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦