2019年11月17日(日)
聖霊降臨後第23主日
み言葉と勧話
ルカによる福音書 21:5-19
神殿の崩壊を予告する
5ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。
6「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る」
終末の徴
7そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」
8イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。
9戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」
10そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。
11そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。
12しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。
13それはあなたがたにとって証しをする機会となる。
14だから、前もって弁明に準備をするまいと、心に決めなさい。
15どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。
16あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。
中には殺される者もいる。
17また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。
18しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。
19忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」
日本聖書協会 新共同訳聖書
勧話
「はじめに」
みなさん、おはようございます。今日、第三主日は塚田司祭さまが管理牧師を務めておられます聖愛教会へお出かけになりましたので、この礼拝は私たち信徒だけで礼拝を守る「み言葉の礼拝」をささげております。私は2019年8月16日に続き6回目の「勧話」を担当させていただきます。
皆様もご存じの通り、私はこの10年ほど日曜学校にかかわっており、日曜学校の礼拝では当番制で「教話」を担当しておりますので、今日の「勧話」も日曜学校の子供たちに向かって話すつもりで行いたいと思いますので、その旨をあらかじめお断りしておきます。
「キーワード」
今日の日課はルカによる福音書の21章5節~19節です。新共同訳聖書がお手元にある方はご覧いただきたいのですが、5節~6節までは「神殿の崩壊を予告する」と、7節~19節は「終末の徴」との見出しがつけられています。なぜ二つに分かれているのかと言うと21章5節から6節までは「ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話している」ことに対してイエスさまが神殿の崩壊を予告することで、7節以降はある人々の「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。~」という問いかけに答えて語られたことなのでわかれているのです。
初めに今日の福音書のキーワードを言います。ルカによるルカによる福音書第21章17節~19節をもう一度読みます。
『また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなた方の髪の毛一本も決してなくならない。忍耐によってあなた方の命をかち取りなさい。』
今日の日課も、私にとっては「こりゃ一体何のことだ。さっぱり訳がわからん。えらいところがあたってしまった」とあわてました。
「神殿の崩壊を予告する」と「終末の徴」を聴いたのは誰か
皆様もご存じの通り、ルカによる福音書第9章51節から19章27節の部分は、イエスさまが私たちの罪を贖う目的で十字架にかかって死ぬためにエルサレムに向かう途中で、同行するお弟子さんたちや群衆に「神の国」について語り・教えながら旅を続けて行くさまが描かれています。
その後の19章28節から23章56節はエルサレムでのイエスさまの最後の一週間が描かれており、今日の日課はその中に位置していることをまず念頭に置いておきましょう。
今日の日課であるルカによる福音書第21章5節は「ある人たちが~」と始まりますが、同一の記事について共観福音書であるマタイによる福音書24章1節とマルコによる福音書13章1節では「弟子たち」が神殿の立派なことを話し、イエスさまの話を聴く構成になっています。特に執筆が一番古いマルコによる福音書(紀元65年頃)では「終末の徴」について尋ねて聴いたのはペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレと個人名が記載されているのが、マタイによる福音書(紀元80年代)では「弟子たちが」となり、ルカによる福音書(80年代)では「ある人たちが」と変化していることが興味深い点です。
また、同様にマルコとマタイでは弟子たちがイエスさまから話を聴くのはオリーブ山と記載されていますが、ルカは具体的な場所が書かれていません。
「神殿の崩壊の意味」
ここで出てくるエルサレムの神殿は、ソロモン王が建立した神殿がバビロニア王国によって破壊されたものをヘロデ大王が紀元前20年頃から大規模修繕および拡張工事を始め、イエスさまの時代までかかって再建されたものを指します。その後、紀元70年にティトス将軍(後のローマ皇帝)が率いるローマ軍によりエルサレムの神殿は破壊され、イエスさまの神殿崩壊の予告は表面的に成就します。
「神殿の崩壊の意味」はなんでしょう。イスラエルの人たちにとって神殿は文字通りの神の家、神の居られるところ、神と出会える場所でした。遊牧民であったアブラハム、イサク、ヤコブの時代(族長の時代とも呼ばれる)には「主の契約の箱」を持って移動していましたが、出エジプトと放浪の旅を経てカナンの地に定住後、統一王国時代のソロモン王が神殿を建立します(紀元前956年頃)。神は無敵でありオールマイティなので、それをたたえるために壮麗な神殿を作ったのです。イエスさまの予告する「神殿が崩壊する」ということを聴いたイスラエルの人々は、神殿の奉献を行ったソロモン王に主が言われた言葉(列王記上9章6節~8節)『もしあなた方とその子孫が、わたしに背を向けて離れ去ってしまい、わたしが与えた戒めと掟を守らず他の神々のもとに行って、これに仕え、これにひれ伏すなら、私が与えたこの土地からイスラエルを絶ち、私がその名のために聖別した神殿を私の前から捨て去る。こうしてイスラエルはすべての民の中で物笑いの種となり、嘲りの的となるだろう。』を思い出し、「神に見捨てられる」これはもう「世の終わり」という思いにとらわれたことでしょう。
「終末の徴」
神殿の崩壊の予告を聴いて不安を覚えた「ある人たち」「弟子たち」は、そのことが起こる時期と前兆について尋ねます。イエスさまの答えは「私の名を名乗る者」偽キリストが大勢現れ、民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、戦争や騒乱、地震や飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかしこれらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたを捕らえて迫害する。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなた方に手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなた方にとって証をする機会となる。だから前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論も出来ないような言葉と知恵をわたしがあなた方に授けるからである。また、16節では「あなたがたは、親、兄弟、親族、友人にまで裏切られ、中には殺される者もいる。」・・・と恐ろしい言葉が続きます。
イエスさまがここと同じようなことをおっしゃっている箇所がルカによる福音書12章52節~53節にあります。「今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」
これは、イエスさまが来たのは地上に火(神様を信じる信仰の炎」)をつけるため洗礼(私たちの罪を贖う目的で十字架にかかって死ぬこと)を受けねばならない。その結果、神様を信じる人と信じない人の間で分裂が起きる。家族・兄弟姉妹の間柄であっても関係無いということで、ルカ12章52節と、今日の日課の21章16節は同じことを語っているのだと思います。
「キーワードと本日の学び(まとめ)」
ここで、もう一度初めに申し上げた今日の福音書のキーワードを思い出してください。ルカによるルカによる福音書第21章17節~19節をもう一度読みます。
『また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなた方の髪の毛一本も決してなくならない。忍耐によってあなた方の命をかち取りなさい。』
イエスさまが「わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。」と言っておられるのは、イエスさまの弟子たちのこと。すなわち洗礼を受けて信徒となったクリスチャンのことを指しています。クリスチャンとクリスチャンでない人たちの間で対立が起きて、親兄弟であっても憎まれたり、裏切られたり、殺される者も出る。けれども何が起ころうともそれは「世の終わり」ではありません。
今日の第一日課であるマラキ書第3章19節~20節が「世の終わり」には高慢な者、悪を行う者はすべてわらのようになる。到来するその火は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。」と語られています。
しかし、イエスさまが私たちの罪を贖う目的で十字架にかかって死なれたことで、罪の奴隷である私たちの身代金が払われ、神様の許へ買い戻して下さいました。洗礼を受けてクリスチャンになることはイエスさまの弟子になることであり、クリスチャンでない人たちとの対立が起きたり、憎まれたり、裏切られたり、殺される者が出ても恐れひるむことなくイエスさまのみ言葉を伝えましょう。そして、この世界に「神の国」を実現させるべく私たちを励まし、導き、神様に取りなして下さるイエスさまと聖霊に感謝しましょう。
ここに集う皆様と、思いを一つにする世界中の方々全ての上に、イエスさまの恵みと、癒やしと、慰めが豊かにありますように。父と、子と、聖霊の御名によって、アーメン。
シメオン 元津 毅
参考文献
スタディバイブル 日本聖書協会 2014年
キーワードでたどるキリスト教の歴史 林信孝 日本キリスト教団出版局 2008年
聖書(聖書協会共同訳) 日本聖書協会 2018年
新約聖書 塚本虎二 訳 岩波書店 1963年
読む聖書辞典 山形孝夫 筑摩書房 2015年
聖書資料集 富田正樹 日本キリスト教団出版局 2004年
ぼくたちが聖書について知りたかったこと 池澤夏樹 小学館 2012年