2019年6月16日(日)
聖霊降臨後第1主日
三位一体主日
み言葉と勧話
ヨハネによる福音書 16:5-11;12-15
5今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。6むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。7しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。 8その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。9罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、10義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、11また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。 12言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。 13しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。 14その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。 15父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」
日本聖書協会 新共同訳聖書
勧話
聖霊のはたらき
「はじめに」
みなさん、おはようございます。今日、第三主日は塚田司祭が管理牧師を務めておられます聖愛教会へお出かけになりましたので、この礼拝は私たち信徒だけで礼拝を守る「み言葉の礼拝」をささげております。私は2019年3月17日に続き4回目の「勧話」を担当させていただきます。
皆様もご存じの通り、私はこの10年ほど日曜学校にかかわっており、日曜学校の礼拝では当番制で「教話」を担当しておりますので、今日の「勧話」も日曜学校の子供たちに向かって話すつもりで行いたいと思いますので、その旨をあらかじめお断りしておきます。
さて、今日は三位一体主日Trinity Sunday ですが、先週は髙橋主教さまの強い要望によりペンテコステPentecostに東京教区の合同礼拝が香蘭女学校で行われ、私たちの教会からお二人の方が堅信の恵みに与りました。あらためてお祝いを申し上げます。
「キーワード」
今日の日課はヨハネによる福音書の16章5節~11節までと、12節~15節までの二カ所が選ばれております。前半がカッコでくくられていますのでメインは12節からの部分ですが、両方を対象として考えてみたいと思います。
初めに今日の福音書のキーワードを言います。ヨハネによる福音書第16章13節をもう一度読みます。
13節『しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなた方に告げるからである』
皆さんに質問します。今日の日課を読んで、すぐに何のことかおわかりになりましたか。私は正直に「こりゃ一体何のことだ。さっぱり訳がわからん。えらいところがあたってしまった」とあわてました。
「聖霊の働き」
今日私たちに与えられた日課であるヨハネによる福音書16章4節後半から15節にかけては『聖霊の働き』という見出しがついています。場面としては13章の「洗足」から17章の「最後の晩餐」にかけての部分で、イエスさまの最後の説教(告別の説教)と言われる中にあります。
最後の晩餐の後、ゲッセマネの園で祈りを捧げておられたイエスさまが、無実の罪で捕らえられて不当な裁判の結果、十字架に架けられるイエスさまが直接お弟子さんたちに、そして弟子たちを通して私たちに語っています。
一体何を語ったのでしょうか。本日の日課の前半部分になりますが、それはイエスさまが間もなくこの世を去らねばならないこと(16章5節「わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしている~」)と、去った後に「弁護者」を送る(16章7節「しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなた方のためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなた方のところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなた方のところに送る。」)ことを語っておられます。
「弁護者について」
7節の「弁護者」とは何でしょう。ヨハネによる福音書のこの箇所では「聖霊」Holy Spiritのことを指しています。皆様もご存じの通り新約聖書は地中海沿岸で共通に使われていた当時の国際言語であるギリシャ語で書かれました。この部分はギリシャ語でパラクレートスπαράκλητος、ラテン語もHo Parakletosであり、元々の意味は法廷で傍らに立つように呼ばれたもの。すなわち弁護士のことです。ちなみに英語の聖書ではthe Helperと訳されていて、日本語では日本聖書協会による1887年の文語訳と1954年の口語訳、またプロテスタント教会による2017年の新改訳では「助主」となっています。一方「弁護者」と訳しているのは日本聖書協会による新共同訳、岩波書店から出ている塚本虎二訳です。パラクレートス弁護者は聖霊のことを指しています。
「聖霊について」
先にキーワードとしてお伝えした13節の「真理の霊」は「聖霊」Holy Spiritのことです。ギリシャ語ではプネウマpneumaで、ラテン語ではスピリトゥスspiritus。ヘブライ語ではルーアハであり、元々の意味は「風」「呼吸」「空気」で、人の目には隠された、つまり見えないけれども森羅万象(この世の全てのもの)を動かす不思議な力のことを指しています。
それでは聖霊の働きとは何でしょう。旧約聖書では、人に聖霊ルーアハが働くと、不思議な怪力のサムソンをはじめとする士師たちや、神さまの言葉を預かって人間に伝える預言者たち、ダビデ王のような名君が現れます。
新約聖書では、聖霊プネウマが働くと聖母マリアさまがイエスさまを身ごもり、イエスさまがヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けたときプネウマが鳩のように下り、その後荒野でサタンの誘惑に打ち勝ち、病人や悪霊に取り憑かれている人を癒やし、死んでしまったベタニアのラザロや会堂司ヤイロの娘を復活させ、ヘブライ語しか話せなかったイエスさまのお弟子さんたちが、外国語でイエスさまのことを語り始めます。聖霊の力は正に万能、オールマイティ、不可能はなく、先週ペンテコステの合同礼拝で子供たちがお捧げした「不思議な風」の歌詞にあるように「不思議な風がぴゅうっと吹けば、なんだか勇気がわいてくる」のです。
「聖霊と弁護者」
私が思うに「聖霊」「弁護者」「助け主」と呼び名は違いますが、みんな同じ「神の霊」の性格を現しています。イエスさまが私たち人間に送ってくださる「聖霊」は、いつでも、どこでも、どんなときにも私たちの傍に立って、私たちを励まし、父なる神様へ罪深い私たちのことを取りなして下さるとともに、私たちを神様の方へ導いてくださいます。
「イエスさまと聖霊」
何よりも神様から遣わされたイエスさまは、ご自身が「聖霊」「弁護者」「助け主」としてこの世に来られ、神の国を実現するべく活動されました。イエスさまは十字架に架けられて殺され、三日目によみがえり、お弟子さんたちに現れ、40日目に昇天されましたが、その10日後の復活から50日目にお弟子さんたちへイエスさまから送られた聖霊が下り、イエスさまの始められた神の国を実現する運動が世界に広まっていったのです。
「三位一体について」
さて、今日三位一体主日Trinity Sundayは聖書に示された教え、すなわち神様は「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」の三つのものから構成される方であることを記念する、また覚える日です。この日の由来は、初代教会時代に一度正統な信仰から離れた者が教会に戻ってくる日は、ペンテコステ直後の主日(日曜日)と定められていて、1334年にローマンカトリックの教皇ヨハネス二十三世が典礼暦に組み入れたことに始まります。ちなみにこれは西方教会だけの祝日で、東方教会(ギリシャ正教、ロシア正教等)にはありません。
私たちの属するアングリカンチャーチにとっては、この祝日にカンタベリー大主教に按手されたイングランド聖公会のトマス・ベケットThomas Becket (1118年12月21日~ 1170年12月29日 殉教)が三位一体主日の定着に尽力したことが思い出されます。
また、「アイルランドの使徒」と呼ばれる聖パトリックSaint Patrick (387年? - 461年3月17日)が、三つ葉のクローバーの形をしたシャムロックshamrock(ツメクサやカタバミ等葉が三枚に分かれている草)を使って三位一体の教義(父と、子と、聖霊が一つであること)を説明したエピソードも有名です。
「本日の学び(まとめ)」
今日の学びは、イエスさまの教えとは神様を信じ疑うことなくついて行くこと。そしてイエスさま自身がそのことについて身をもって実践し、この世界に「神の国」を実現させるべく行動されたことだと思います。身も心も弱い、すぐにサタンの誘惑に負けてしまう私たちを励まし、導き、神様に取りなして下さるイエスさまと聖霊に感謝しましょう。ここに集う皆様と、思いを一つにする世界中の方々全ての上に、イエスさまの恵みと、癒やしと、慰めが豊かにありますように。父と、子と、聖霊の御名によって、アーメン。
シメオン 元津 毅
参考文献
スタディバイブル 日本聖書協会 2014年
キーワードでたどるキリスト教の歴史 林信孝 日本キリスト教団出版局 2008年
イエスの生涯 ジェラール・ベシエール 創元社 1995年
聖書(和英対照) 日本聖書協会 1997年
聖書(聖書協会共同訳) 日本聖書協会 2018年
聖書(1954年の口語訳) 日本聖書協会 1954年
新約聖書 塚本虎二 訳 岩波書店 1963年
新約聖書(1887年文語訳) 日本聖書協会 2000年
キリスト教歳時記 八木谷涼子 平凡社 2003年
読む聖書辞典 山形孝夫 筑摩書房 2015年