2019年3月17日(日)
聖霊降臨後第1主日
三位一体主日
み言葉と勧話
ルカによる福音書 13:22-30,31-35
エルサレムのために嘆く
22イエスは町
日本聖書協会 新共同訳聖書
勧話
「はじめに」
みなさん、おはようございます。今日、第三主日は塚田司祭が管理牧師を務めておられます東京聖十字教会へお出かけになりましたので、この早朝礼拝は私たち信徒だけで礼拝を守る「み言葉の礼拝」をささげております。私は2019年1月20日に続き3回目の「勧話」を担当させていただきます。
皆様もご存じの通り、私はこの10年ほど日曜学校にかかわっており、日曜学校の礼拝では当番制で「教話」を担当しておりますので、今日の「勧話」も日曜学校の子供たちに向かって話すつもりで行いたいと思いますので、その旨をあらかじめお断りしておきます。
さて、今日は大斎節第二主日ですが、日曜学校でも先週の第一主日には『大斎の目標』をそれぞれ決めて紙に書き、張り出しました。『毎日勉強する』『毎日お祈りする』というものや、大人の人は『毎日聖書を一章ずつ読む』というものもあります。皆様もきっと自分の大斎目標を決めて実践しておられることと思います。
また、第二主日である今日は、『十字架の道行き』を行う予定になっています。もしもお時間が許せば、9時30分からの日曜学校のお礼拝にも出席して子供たちと一緒に十字架の道行きをいたしませんか?
「キーワード」
今日の日課はルカによる福音書の13章22節~30節までと、31節から35節までの二カ所が選ばれております。前半がカッコでくくられていますのでメインは31節からの部分ですが、両方を対象として考えてみたいと思います。
初めに今日の福音書のキーワードを言います。ルカによる福音書第13章30節と35節をもう一度読みます。
30節『そこでは、後の人で先になる者があり、先の人で後になる者もある』35節『見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う日が来るまで、決して私を見ることがない。』
今日与えられた日課の前半部分であるルカによる福音書13章22節には『狭い戸口』、後半部分である31節には『エルサレムのために嘆く』という見出しがついています。場面はイエスさまがガリラヤから宣教(神様の教えを述べ伝えること)の途中で、ある人から23節『主よ、救われる人は少ないのでしょうか』との質問に答えて語られた言葉が24節『狭い戸口から入るように努めなさい。言っておくが入ろうとしても入れない人が多いのだ。家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってからでは、あなたがたが外に立って戸をたたき、『御主人様、開けてください』と言っても、『お前たちがどこの者か知らない』という答えが返ってくるだけである。云々』と厳しい言葉が続きます。そして26節ではイエスさまとともに食事をしての教えを聴いた人たちもイエスさまの教え(神様の言葉、約束)を信じなければ神の国に入ることはできないと教えられています。また、当時のユダヤの人たちは『自分たちは神様から選ばれた民族だから、アブラハムとイサクとヤコブの子孫だから特別だ』という思いがありましたが、28節でイエスさまはそんなことは関係ない。ご先祖さまが偉かったので、子孫である自分たちは何も努力せずに救われることなんてないとおっしゃっています。
イエスさまの教え(神様の言葉、約束)を信じる人について29節では『そして人々は東から西から、また南から北から(つまり世界中から)来て、神の国で宴会の席に着く。』とおっしゃいました。
私はここでローマの信徒への手紙第4章3節で使徒パウロが『聖書には何と書いてありますか。『アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた』とあります。』と言う箇所を思い出します。使徒パウロが引用しているのは、本日の第一日課である旧約聖書の創世記15章6節『アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。』という部分です。
私たちもイエスさまの教え(神様の言葉、約束)をただ聴いて、感心しているだけではいけません。先に教え(神様の言葉、約束)を聴いて知っていても、信じたときが遅ければ『先の者が後に』なり、早ければ『後の者が先になる』ということだと思います。
さて、次の31節ではファリサイ派の人々がイエスさまに『ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています。』と忠告します。ファリサイとは『分離する者』『あるいは『清い者』を意味するヘブライ語で、ファリサイ派とは律法を守ることを強調した人々です。また、ここで言うヘロデとはペレアの領主ヘロデ・アンティパスのことで、ファリサイ派はヘロデがイエスさまの命を狙っていると言ってイエスさまがエルサレムに向かう邪魔をしようとたくらんだのでしょう。
言うまでもなく、イエスさまはファリサイ派のたくらみなどお見通しでした。だから32節で『行ってあの狐(ヘロデ・アンティパスのこと)に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』と私が言ったと伝えなさい。』とおっしゃったのです。もちろんイエスさまはこの33節と続く34節で十字架の上で死んだ後、三日目によみがえることをおっしゃっているのですが、このときはお弟子さんたちでさえ何を言っているのかわからなかったでしょう。33節では『予言者がエルサレム以外の場所で死ぬことは、あり得ないからだ。』と言い、34節以下はエルサレムのために嘆くことになります。
35節では、『見よ、お前たちの家(ヘロデ大王がエルサレムに大改築した神殿のこと)は見捨てられる。言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方(イエスさまのこと)に、祝福があるように』と言う日が来るまで、決して私を見ることがない。』と語られます。
実際にこの後、西暦70年ティトゥス(後のローマ皇帝)の率いるローマ軍がエルサレムを占領した際に完全に破壊されます。
ヘロデ大王以下一般のユダヤの人たち、とりわけファリサイ派の人たちは『自分たちは神様に選ばれた民だ。モーセ以来、神様から与えられた律法を堅く守っているから他の人とは違って神の国にそのままゆけるのだ』と言う特権意識を持っていました。しかしイエスさまはそういう特権意識を捨てて神様を信じ疑うことなくついて行くことが大切なのだ。でもそれは『狭い戸口』から入るように難しいことだとおっしゃっているのです。私たちは普段の生活の中で、私たちの祈りや願いが拒否されたように感じられるときや、またそもそも神様はいるのかと言う気持ちになるときがあります。
しかし、イエス様の言葉を信じ、ご指示に従って、一見無意味や不可能に思える作業を繰り返し続けてゆくと最後には実を結ぶ。それはちょうどあのカナの婚礼のときに示された、不完全な律法を現す石の水がめ六つに、イエスさまの指図された七つ目にあたる水を満たすことで律法が完成し、完全となった水がぶどう酒に、それも極上のぶどう酒に変えられる奇跡となる。イエス様の「新しい教え」を信じるとはそういうことなのだと思います。
今日の学びは、イエスさまの教えとは神様を信じ疑うことなくついて行くこと。そしてイエスさま自身がそのことについて身をもって実践し示されたことだと思います。
シメオン 元津 毅
参考文献スタディバイブル 日本聖書協会 2014年
キーワードでたどるキリスト教の歴史 林信孝 日本キリスト教団出版局 2008年
イエスの生涯 ジェラール・ベシエール 創元社 1995年
聖書人物おもしろ図鑑(新約編) 古賀博 他 日本キリスト教団出版局 2016年
聖書(聖書協会共同訳) 日本聖書協会 2018年
バイブル・プラス 日本聖書協会 2014年