2019年8月18日(日)
聖霊降臨後
第10主日
み言葉と勧話
ルカによる福音書 12:49-56
49「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。
その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。
50しかし、わたしに受けねばならない洗礼がある。
それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。
51あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。
言っておくが、むしろ分裂だ。
52今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。
53父は子と、子は父と、
母は娘と、娘は母と、
しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、
対立して分かれる。」
54イエスはまた群衆にも言われた。「あなたがたは、雲が西に出るのを見るとすぐに、『にわか雨になる』と言う。 実際そのとおりになる。 55また、南風が吹いているのを見ると、『暑くなる』と言う。 事実そうなる。 56偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。」
日本聖書協会 新共同訳聖書
勧話
時を見分ける
「はじめに」
みなさん、おはようございます。今日、第三主日は塚田司祭が管理牧師を務めておられます聖愛教会へお出かけになりましたので、この礼拝は私たち信徒だけで礼拝を守る「み言葉の礼拝」をささげております。私は2019年6月17日に続き5回目の「勧話」を担当させていただきます。
皆様もご存じの通り、私はこの10年ほど日曜学校にかかわっており、日曜学校の礼拝では当番制で「教話」を担当しておりますので、今日の「勧話」も日曜学校の子供たちに向かって話すつもりで行いたいと思いますので、その旨をあらかじめお断りしておきます。
「キーワード」
今日の日課はルカによる福音書の12章49節~56節です。聖書がお手元にある方はご覧いただきたいのですが、49節~53節までは「分裂をもたらす」と、54節~56節は「時を見分ける」との見出しがつけられています。なぜ二つに分かれているのかと言うと12章22節から53節まではイエスさまがお弟子さんたちに語ったことで、54節「イエスはまた群衆にも言われた。」とあるようにここからは群衆を前にして語られたことなのでわかれているのです。
初めに今日の福音書のキーワードを言います。ルカによる福音書第12章56節をもう一度読みます。
56節『偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることは知っているのに、どうして今の時を見分けることを知らないのか。』
皆さんに質問します。今日の日課を読んで、すぐに何のことかおわかりになりましたか。私は正直に「こりゃ一体何のことだ。さっぱり訳がわからん。えらいところがあたってしまった」とあわてました。
「分裂をもたらす」と「時を見分ける」
今日私たちに与えられた日課であるルカによる福音書12章49節から53節にかけては『分裂をもたらす』という見出しがついています。場面としては9章51節から19章27節の部分は、イエスさまが私たちの罪を贖う目的で十字架にかかって死ぬためにエルサレムに向かう途中で、同行するお弟子さんたちや群衆に「神の国」について語り・教えながら旅を続けて行くさまが描かれています。
イエスさまは「わたしが来たのは地上に火を投ずるためである。その火がすでに燃えていたらと、どんなに願っていることか。(12章49節)」「しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむだろう。(12章50節)」「あなた方はわたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。(12章51節)」「今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。(12章52節)」「父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。(12章53節)」とお弟子さんたちに語りました。
先日、日曜学校のキャンプで夜にキャンプファイアーをしましたが、3本のトーチからたきぎに火が移され、小さな炎が大きくなり、夜空に映えるさまは美しかったですね。しかしイエスさまがここでおっしゃる「火」とは何でしょう。「火」にはいくつかの意味がありますが、そのうちの一つは①「神の臨在(神様が私たちとともに居て下さること)」です。私たちが礼拝の始まる前にろうそくを点すのがその例です。また、②神様は「火によって悪い人々を罰する」こともあります。旧約聖書の創世記に記されたソドムとゴモラのまちのお話がその例です。さらに③神様は「人々を火で清める」こともあります。
先主日の日課「目を覚ましている僕」では、夜中だろうが夜明けだろうが何時神様がやって来ても、目を覚まして準備が出来ている忠実で真面目な僕のようになることが求められていました。その流れから見てイエスさまは火④「神様を信じる信仰の炎」が燃えていることを望んでいたのに、そうではないので自ら火(「神様を信じる信仰の炎」)をつけるため洗礼(私たちの罪を贖う目的で十字架にかかって死ぬこと)を受けねばならない。その結果、神様を信じる人と信じない人の間で分裂が起きる。家族・兄弟姉妹の間柄であっても関係無いと語っているのだと思います。
「時について」
56節の「時」とは何でしょう。皆様もご存じの通り新約聖書は、地中海沿岸で使われていた当時の国際言語であるギリシャ語で書かれました。この部分はギリシャ語のカイロンκαιρον、であり、元々の意味はカイロス(Καιρός、ラテン文字転写:Kairos、ラテン語形:Caerus)で、ある出来事が起きる前と後では意味が変わってくるということを意味します。
「時」を意味するギリシャ語はもう一つクロノス( Χρόνος, ラテン文字転写:Khronos, ラテン語形:Chronus)があり、時計の針が刻む量的な時間のことを意味しています。
日課の後半部分56節の「時を見分ける」では、群衆に向かって空模様を見分けるように神様を信じ立ち帰る時(クロノスのような時計が示す時間ではなく、カイロスの意味する「ある出来事が起きる前と後では意味が変わってくること」)が来たことを悟って悔い改めることを語っておられます。
「購いについて」
イエスさまは私たちの罪を贖う目的で十字架にかかって死なれましたが、贖いRedemptionという言葉の元々の意味は「身代金を払って奴隷や捕虜を買い戻す」法律用語でした。
クリスチャンとはイエスさまが罪の奴隷である私たちの身代金を払って神様の許へ買い戻して下さったことなのだと理解できます。
「本日の学び(まとめ)」
今日の学びは、イエスさまが私たちに「神様を信じる信仰の炎」を点火するため「私たちの罪を贖う目的で十字架にかかって死なれたこと。」そしてカイロスの時が来たことを悟って悔い改め、神様を信じ疑うことなくついて行き、この世界に「神の国」を実現させるべく私たちを励まし、導き、神様に取りなして下さるイエスさまと聖霊に感謝しましょう。
ここに集う皆様と、思いを一つにする世界中の方々全ての上に、イエスさまの恵みと、癒やしと、慰めが豊かにありますように。父と、子と、聖霊の御名によって、アーメン。
スタディバイブル 日本聖書協会 2014年
キーワードでたどるキリスト教の歴史 林信孝 日本キリスト教団出版局 2008年
イエスの生涯 ジェラール・ベシエール 創元社 1995年
聖書(和英対照) 日本聖書協会 1997年
聖書(聖書協会共同訳) 日本聖書協会 2018年
新約聖書 塚本虎二 訳 岩波書店 1963年
読む聖書辞典 山形孝夫 筑摩書房 2015年