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イエスはまことのぶどうの木
1「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 2わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。 3わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。 4わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。 5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。 人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。 6わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。 7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。 8あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。
新共同訳聖書
バラの花が今年もきれいに咲いて、道行く人たちの目を楽しませてくれているようです。
◆今週の福音書は「イエスはぶどうの木」というタイトルで知られています。「つながる」という関係を表す動詞が何度か出てきます。この言葉の意味は「自分の本来のあり方を見出したところにとどまる」ということです。パウロは「キリストの中に」あり、キリストに結ばれるとき、「新しい創造」が起こっていると説きます(コリントⅡ 5:17)。ヨハネは「まことのぶどうの木であるキリストにつながる」と言うのです。神につながることで正しい関係の中にあることを見出したときに、その関係の中に留まることができるのでしょう。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦