日本聖公会 聖マーガレット教会
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12イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。
13そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。
14それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。
15「ゼブルンの地とナフタリの地、
湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、
異邦人のガリラヤ、
16暗闇に住む民は大きな光を見、
死の陰の地に住む者に光が差し込んだ。」
17そのときから、イエスは、「悔い改めよ。 天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
18イエスはガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。 彼らは漁師だった。 19イエスは、「わたしについて来なさい。 人間をとる漁師にしよう」と言われた。 20二人はすぐに網を捨てて従った。 21そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。 22この二人もすぐに、舟と父親を残してイエスに従った。
23イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。
新共同訳聖書
ヒヤシンスの球根が春を待っています。
◆本日の福音書はイエスの宣教の始めの言葉「悔い改めよ。天の国は近づいた」と「弟子の召命」が述べられています。悔い改めるという言葉の原語はメタノイアというギリシャ語で、本来「視点の転換」を意味する言葉です。「判断の筋道」「変える」ということで要するに「視点を移す」ということです。ヘブル語からギリシャ語に翻訳した時にメタノイアは「痛みを共感する」という意味を含んでいます。従って視点を移す先は人の痛みを共感出来るところということになります。「悔い改めよ」と言うとあなたは罪を悔い改めなさい、という感じの言葉に聞こえますがそのように受け止めると誤解のもとになります。本田神父は「低みに立って見直す」と訳しています。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦