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「羊の囲い」のたとえ
1「はっきり言っておく。 羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。 2門から入る者が羊飼いである。 3門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。 羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。 4自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。 羊はその声を知っているので、ついて行く。 5しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 6イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
イエスは良い羊飼い
7イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。 8わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。 9わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。 10盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
新共同訳聖書
イースターガーデンに飾られたマーガレットの花。
◆今週の福音書でイエスは「わたしが来たのは、みんなにいのちを得させるためである」と語ります。ここで言われている「いのち」は生物学的な「いのち」というより、神との関係の中で生きる「いのち」と考えたい。この与えられた「いのち」は人を大事にすることを学び、人の痛みに共感する力が与えられるのでしょう。豊であるということはそういうことなのだと思います。羊飼いは羊を豊かに導いてくださるのです。
牧師 司祭 バルナバ 前田 良彦