チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 アメイジング・グレイス 」
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「お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。」
(ルカ15:32)
アメリカで第二の国歌と言われるほど愛されている聖歌「アメイジング・グレイス(Amazing Grace)」をご存じと思います。作曲家は不詳ですが、作詞家はイギリス聖公会の司祭であるジョン・ニュートン(John Newton、1725‐1807)です。ニュートンは1725年、イギリスに生まれました。母親は幼いニュートンに聖書を聞かせるほど敬虔なクリスチャンでしたが、彼が7歳の時に亡くなります。成長したニュートンは父に付いて船乗りとなり、さまざまな船を渡り歩くうちに奴隷貿易に携わり富を得るようになります。当時、奴隷として連れていかれた黒人への扱いは家畜以下であり、彼らが乗る船内の衛生環境は劣悪でした。それゆえ、多くの者が目的地に到着する前に、感染症や栄養失調などで死亡しました。黒人を人間と猿の中間的な生き物として扱っていた時代だったのです。
そのような奴隷貿易に携わったニュートンでしたが、22歳の時に精神的な転機が訪れます。イングランドへ蜜蠟を輸送中、船が嵐に遭って浸水し転覆の危険に陥ります。海に沈み込みそうな船で彼は必死に神様に祈りました。心の底から神様に祈ったのはその時が初めてのことだったようです。すると流出していた貨物が船倉の穴を塞いで浸水が弱まり、船は運よく難を逃れられました。ニュートンは、その日を第二の誕生日とし、人生をすべて改める決意を固めます。それ以降、不謹慎な行いを控え、聖書や宗教的書物を読むようになります。奴隷に対しても同情を感じるようになりましたが、その後の6年間は奴隷貿易に従事し続けました。後に真の悔い改めに至るためには、さらに多くの時間と出来事が必要だったと、彼は後に語りました。そのように悔いることと改めることを続けたニュートンは、1755年に船から降り、多額の献金と勉学を重ねて司祭になります。そして1772年にアメイジング・グレイスが作詞されました。歌詞の中では、奴隷貿易に関わったことに対する悔い改めと、赦しを与えた神様の愛に対する感謝が歌われています。
今日の福音書は聖書の中でも最も知られているお話の一つ「放蕩息子」のたとえ話です。中心テーマは、悔い改めた罪人を受け入れていくださる神様の憐れみ深さにあります。物語には父親と二人の兄弟が登場しますが、父親は神様を、弟は神様に背向いたけれども悔い改めた人を、兄は律法に忠実な人をそれぞれ象徴します。放蕩息子と言われる弟は家出をして人生の快楽を味わったのですが、生きることの大変さを経験することによって、自分の誤りを深く悟り悔い改めます。それで故郷に帰還しましたら、父親に大変歓迎され祝宴までも開いて受け入れられるという内容です。
かつて奴隷貿易の商人だったジョン・ニュートンは、悔い改めた自分のことを放蕩息子にたとえ、信仰告白のような言葉をアメイジング・グレイスの歌詞に反映しました。それは、父親が喜びをもって帰ってきた弟を迎え入れたときに語った「死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかった(He was lost and is found)」(24節・31節)に基づいて書いた「私はもう迷わない(I once was lost but now am found)」という部分です。因みに日本聖公会の聖歌集(540番)には「愚かな我をも招き入れる」と訳されています。
放蕩息子のたとえ話、またジョン・ニュートンの人生からも読み取れますように、悔い改めとは方向を転換するということです。つまり、間違った方向から正しい方向へと180度向きを変えることです。聖書に用いられる「罪」という言葉の語源は「的外れ」という意味です。倫理や道徳的な間違い以前に、人間が本来向かうべき方向、つまり神様から外れてしまうことが罪なのです。それゆえ、間違って外れてしまった方向を、本来向かうべき方向へと転換することが、罪の悔い改めになるのです。私たちは誰もが過ちに陥りやすい存在です。そのような自分の弱さを認め、悔いることだけではなく改めることが求められます。
<福音書> ルカによる福音書 15章11~32節
11また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。 12弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親は財産を二人に分けてやった。 13何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産を無駄遣いしてしまった。 14何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。 15それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。 16彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。 17そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。 18ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。 19もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』 20そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。 21息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』 22しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 23それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。 24この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。
25ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。 26そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。 27僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』 28兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。 29しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたしが友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。 30ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』 31すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。 32だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」