チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 メメント・モリ 」
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「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。
(ルカ9:35)
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「 メメント・モリ 」
姿を他のものに変えることを変身と言いますが、変身というと先ず何が思い浮かぶでしょうか。日本の神話や昔話の中でキツネやタヌキが人間に化けること、テレビドラマシリーズ「仮面ライダー」の登場人物がヒーローキャラクターに姿を変える場面、若しくは実存主義文学の代表作であるフランツ・カフカ(Franz Kafka、1883-1924)の小説『変身』の内容、主人公の男がある朝目覚めると巨大な虫に変わっていたということを思い出すかもしれません。キリスト教においても変身に因んだお話があります。今日の福音書もその一つですが、キリストの姿が変わったということで「主の変容」と言われています。
「主の変容」は、キリストが「山の上で祈っておられるうちに、顔の様子が変わり、衣は白く光り輝いた」(28‐29節)、つまり煌々たる姿へと変貌を遂げられたことを指します。ところが、キリスト教ではキリストの姿がそのように変わったことにはそれほど意味を置いていません。単に姿が変わったことより、むしろなぜ変容される必要があったのか、その目的は何かということを求めます。キリストの外側の変容だけに理解が止まりますと、「主の変容」を通して伝わるみ心には届かなくなります。
変容なさったキリストは、突然現われたモーセとエリヤという偉大なる預言者たちと話し合ったのですが、その会話の内容が変容の目的を明らかにしてくれます。今日の福音書にはこうあります。「二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最後のことについて話していた。」(31節) つまりキリストの光に包まれた煌々たる変容とは、これからキリストが迎える十字架の死のためのことだったのです。キリストにとって死とは、救いのみ業を完成するためには必ず貫かなくてはならない大事な出来事でした。その死を準備し、死が持っている意味を伝えるために、逆説的ではありますが外側が光に包まれる煌々たる変容が必要だったわけですが、ここにキリストの変容を通して伝わるみ心の核心があります。
死は決して苦しいこと、悲しいこと、避けるべきことだけではありません。アッシジの聖フランチェスコ(Francesco d'Assisi、1182-1226)が、死をいつも共にいる愛おし姉妹だと表現したように、死と生はかけ離れているものではありません。生まれることがそうであるように死も聖なる出来事であり、そうであるがゆえに日々の生活の中で準備していくのが望ましいです。まるで詩を書くように死を準備する、と言ってもいいのではないかと思います。メメント・モリという言葉があります。ラテン語のメメント・モリは、「自分は必ず死ぬことを忘れるな」という意味の言葉ですが、中世時代の修道士たちはその言葉を朝晩の挨拶の変わりとして用いました。それには、いつ死が訪れるか分からないから与えられた命に感謝しながら日々の生活を勤しむという意味が込められていると考えられます。元は「メメント・モリ、カルペ・ディエム (memento mori、carpe diem)」という古代ローマの諺の一部ですが、カルペ・ディエムは意訳してみますと、「今この瞬間に忠実に生きなさい(enjoy the moment)」になります。つまり、死を覚えることとしてのメメント・モリと、今を生きることとしてのカルペ・ディエムは、真の命を見つめて死を覚えること、そして死の現実を見据えて今を生きる、死を生きることを意味するのです。
キリストの人生はそれ自体が死の人生でした。キリストに連なるとは、自分自身もキリストのように死の人生を生きるということを意味します。お祈りを通してみ心を頂き、それに従って自分を低くし、全てのことを主に委ねるという、死の人生を送らなくてはなりません。そのように生きる時、私たちの姿も栄光に包まれて光り輝きますし、いずれはキリストのように真の命の花を咲かせることができるのです。
<福音書> ルカによる福音書 9章28~36節
28この話をしてから八日ほどたったとき、イエスは、ペトロ、ヨハネ、およびヤコブを連れて、祈るために山に登られた。 29祈っておられるうちに、イエスの顔の様子が変わり、服は真っ白に輝いた。 30見ると、二人の人がイエスと語り合っていた。モーセとエリヤである。 31二人は栄光に包まれて現れ、イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期について話していた。 32ペトロと仲間は、ひどく眠かったが、じっとこらえていると、栄光に輝くイエスと、そばに立っている二人の人が見えた。 33その二人がイエスから離れようとしたとき、ペトロがイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、自分でも何を言っているのか、分からなかったのである。 34ペトロがこう言っていると、雲が現れて彼らを覆った。彼らが雲の中に包まれていくので、弟子たちは恐れた。 35すると、「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」と言う声が雲の中から聞こえた。 36その声がしたとき、そこにはイエスだけがおられた。弟子たちは沈黙を守り、見たことを当時だれにも話さなかった。