聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2025年2月23日(顕現後第7主日)(2025/02/25)

チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 無茶苦茶な愛 」

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与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。
(ルカ6:38)

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「 無茶苦茶な愛 」

「無茶苦茶」という言葉があります。物事の筋道が立たないさまや物事の程度が甚だしいさまを意味します。聖書の中にも「無茶苦茶」だと感じられる教えが多くありますが、今日の福音書もその一つです。今日の福音書でキリストは、徹底的な愛、無条件で見返りを求めない憐れみについて語られました。恐らく多くの方は、その教えは自分には不可能な「無茶苦茶」な要求なので実践を試みようともせずに諦め、絶望してしまうこともあります。ところが、キリストから求められた徹底的で無条件の愛という教えは、キリスト教の根底にある理念であり回復すべき精神なので、神様の愛に連ねて生きていく以上は葛藤し、つまずきながらも向き合い続けなくてはならない事柄なのです。そのために悩む私たちにヒントを与える実例を一つ紹介いたします。

世界聖公会の象徴的な中心であるカンタベリー大主教だったジャスティン・ウェルビー(Justin Welby)が、2013年に韓国で開催された世界教会協議会(The World Council of Churches)の総会に参加したときのことです。聖餐式の司式者であった彼は、東方正教会の主教が陪餐に参加しないのを見て、一緒に陪餐に与ってほしいと言いました。教会一致を求めて作られた協議会に集まっているからこそ、聖餐を通して一つになることを表したらどうかという勧めでした。ところが、その主教は教理的な理由のためできない、つまり正教会の立場からは他教団の聖餐式は聖餐式として認めないため陪餐には与れないと拒みました。するとウェルビ大主教はその主教の前に跪いて“分かりました。ならば私を祝福してください”と頼みました。恐らく彼は全てのキリスト者はキリストの徹底的な愛、無条件の憐れみによって結ばれているということを自分の体を以って表そうとしたのではないかと思います。それに感銘を受けた私は、どうして彼はそこまで謙虚になれるのか、いくらカンタベリー大主教だとしても簡単にはできないことではないかと思いました。ところが、同じ協議会で行われた彼の説教から彼が持っている信仰的な理念や姿勢についての理解を得ることができました。説教の中、彼はキリスト者には徹底して聖書のみ言葉に準じて生きることが求められているが、そのことを「ラジカル・ゴスペル(radical gospel)」と表現し、キリスト教は貧しい人たちのために貧しくならなくてはならないということを「ラジカル・ラブ(radical love)」と表現しました。

ラジカルという言葉は日本語としては一種の政治学的な用語として人の行動や思想が過激的、或いは急進的で革命的であることを表すときに用いる傾向がありますが、英語そのものではそのような意味だけではなく、徹底的・根本的・基礎的などのことを示す言葉としても用いられます。ラジカルの語源であるラテン語ラディックス(radix)が、根っこや根底などを意味する言葉であることからもその意味が分かります。それに準じますと「ラジカル・ゴスペル」と「ラジカル・ラブ」というのは、福音と愛こそが今のキリスト教が戻っていくべき原点であり、全て神様の愛に連なっている人々が回復すべき精神であるということを集約した表現だと言えます。彼は説教を通してそれを述べただけではなく、無茶苦茶だと認識されていることを自らの体を以って実践したということが分かります。実体のない教理的な理由で目に見える一致を拒んだ正教会の主教の前に跪いて祝福を求めたカンタベリー大主教の謙虚な姿は、不可能に思えるキリストの徹底的で無条件の愛を可能にした一つの実例ではないかと思います。私たちにも福音と愛というキリスト教の原点に戻っていくこと、徹底的にそれを回復することが求められます。ラジカル・ゴスペルとラジカル・ラブへの回帰が求められるわけです。


<福音書> ルカによる福音書 6章27~38節

27「しかし、わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。 28悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。 29あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。 30求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。 31人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。 32自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。 33また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。 34返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。 35しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。 36あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」

37「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。 38与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

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