聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2025年2月9日(顕現後第5主日)(2025/02/13)

チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 沖へ漕ぎ出せ 」(ルカ5:1-11)

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「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」
(ルカ5:10)

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「 沖へ漕ぎ出せ 」

へミングウエイ(Ernest Miller Hemingway、1899-1961)にピューリッツァー賞とノーベル文学賞を与えた小説『老人と海(The Old Man and the Sea)』があります。小説の物語は極めて単純ですが、年老いた漁師の戦いを通して人生の様々な側面を伝えてくれます。主人公のサンチアゴは85日間の長い航海の末、ようやく大きな魚を一匹獲ることができました。喜びと達成感に溢れた彼は、船に載せることもできない程大きな魚を船に縛って港に向かいました。ところが戻る途中、サメの群れに出遭います。死闘を繰り広げて何とかサメを退けましたが、港についてみると魚はサメに食いちぎられて骨だけになってしまいました。小説からも読み取れるように人生や生活の苦労は虚しいことかもしれません。今日の福音書に登場するペトロの姿も最初はそうでした。福音書の5節を見ますとペトロは「先生、私たちは夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。」と生きることの疲れや虚しさをキリストに告白しました。

皆さんは、ご自分の今日に至るまでの歩み、また今の生活についてどのように思っているのでしょうか。もしかしたら『老人と海』の主人公のように人生の虚しさを感じている、若しくはペトロのように働きの結果が得られず疲れ果てて絶望を感じているかもしれません。しかしながら我々の人生は、決して虚しさや絶望だけではありません。たとえ今は疲れ果てて何かに絶望しているとしても、私たちには新しい人生、祝福された日々を送る秘訣が与えられているのです。生きることに疲れ果てていたペトロもそうでした。絶望に陥っていたペトロは、あることをきっかけに希望に溢れる人生を歩み出すようになりました。今日の福音書に準じますとそのきっかけというのは、「自分という船にキリストを迎え入れて、キリストの言葉に従って沖へ漕ぎ出して網を降ろす」(3‐4節)、ということです。人は誰であれペトロのように生きれば、想像したこともない大きな恵みに与るようになります。

では、私たちが漕ぎ出して網を降ろすべき「沖」とはどこなのでしょうか。普通に考えますと沖とは、岸辺の浅いところより比較的に危険性が高いところです。水深が深いため、時より起きる高波によって船の揺れも大きくなり、その分、沈没の危険性もあるところです。また深い水の中には何があるか分からない未知の世界でもあります。そういった意味で、漕ぎ出すべき「沖」とは、普段はあまり向き合おうとしていない内面の深淵のことを象徴すると言えます。さらに、普段漁師が網を降ろすことはない深いところに網を降ろすことなので、それは私たちが持っている知識や経験を超えることを象徴的に意味し、同じく普段網を降ろす夜ではなく昼間に降ろすことなので、私たちが一番良いと思う時が実は良い時ではない場合もある、ということを象徴的に示していると考えられます。まさに固定観念や先入観に支配されている私たちの認識の領域を超えるところ、まさに内面の深淵に、キリストは網を降ろしなさいとおっしゃったわけです。

そのような理解に準じますと、今日のペトロである私たちを希望や信仰へと導くために、キリストは以下のことを求めておられると考えられます。一つは、私たちが自分の知識や経験によって成り立つ固定観念や先入観という世界に基づいて、しかも自分に一番都合の良いと思う時に、何かを実行し結果を得ようとする安易な姿勢から抜け出しなさいということです。そしてもう一つは、内面の深淵は、沖のように荒波が立つ危険性はあるかもしれないけれども、まさにその深いところから御心を汲み上げることで自己存在の変化を求めなさい、ということです。ではなぜキリストは、それらのことを求められたのでしょうか。その理由は明確ですが、そうすることでのみ魚に象徴される人生や信仰の実りが与えられるからです。内面にこそ、絶望から希望へと、虚しさから忠実さに変わる可能性が潜んでいるからです。内面の中心だとも言える「沖」こそ、私たちに向けられた神様の心が汲みだせる神秘の海、救いの深淵なのです。さあ、沖へと漕ぎ出しましょう。


<福音書> ルカによる福音書 5章1~11節

1イエスがゲネサレト湖畔に立っておられると、神の言葉を聞こうとして、群衆がその周りに押し寄せて来た。 2イエスは、二そうの舟が岸にあるのを御覧になった。漁師たちは、舟から上がって網を洗っていた。 3そこでイエスは、そのうちの一そうであるシモンの持ち舟に乗り、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。そして、腰を下ろして舟から群衆に教え始められた。 4話し終わったとき、シモンに、「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」と言われた。 5シモンは、「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と答えた。 6そして、漁師たちがそのとおりにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。 7そこで、もう一そうの舟にいる仲間に合図して、来て手を貸してくれるように頼んだ。彼らは来て、二そうの舟を魚でいっぱいにしたので、舟は沈みそうになった。 8これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです」と言った。 9とれた魚にシモンも一緒にいた者も皆驚いたからである。 10シモンの仲間、ゼベダイの子のヤコブもヨハネも同様だった。すると、イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」 11そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。

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