聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2025年2月2日(被献日)(2025/02/04)

チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 光を灯す 」ルカ2:22-40

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「モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。」
(ルカ2:22)

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「 光を灯す 」

光と闇は、人類の精神史に重要な概念やイメージとして織り込まれています。殆どの宗教伝統にも闇を退ける光を象徴するロウソクは大事な用具として使われます。キリスト教においてロウソクは、ご自身を捧げて世の闇を照らしてくださるキリストを象徴します。礼拝やお祈りの際には様々なロウソクが灯されます。今日の「被献日」には一年間教会や家庭で使うロウソクを聖別する伝統が受け継がれています。「被献日」とは、神道の「初宮参り・初宮詣」のように幼子キリストが生後40日後にエルサレム神殿で神様に献げられたことを記念する祝日ですが、聖別されたロウソクを用いて礼拝を献げることで「キャンドルマス(Candlemas)・シャンドルール(Chandeleur)」とも呼ばれます。

ロウソクは、自分を燃やし減らしながら周囲を照らします。それゆえキリストを象徴すると同時に、キリスト者の生き方の模範を示すものとして用いられます。キリスト者は、キリストに倣って世の中を明るく照らす生き方を望む存在であるからです。では、私たちが自分というロウソクで光を灯すためにはどうすればよいのでしょうか。

先ず一つ目、何よりも芯が求められます。ロウソクに芯がなければ火をつけて光を灯すことができません。また芯が曲がっていたり途中で切れていたりすると、ロウソクが真っ直ぐ綺麗に燃えません。芯は言葉の通りロウソクの中心なのですが、ロウソクが自分だとしますと中心である心の芯とは何でしょうか。愛、信仰、価値観、座右の銘など色々あると思いますが、希望もその一つではないでしょうか。フランスの哲学者ガストン・バシュラール(Gaston Bachelard、1884‐1962)は“ロウソクの灯は、夢見る人間本来の姿そのものだ。”と語り、元々人間は夢を見る存在であり、ロウソクの灯を眺めることによってそれに自覚できるということを伝えました。夢を見たり、ビジョンを描いたり、何かを希望したりすることこそ人間の本来の姿であるので、私たちには心の芯として希望を抱くことが求められます。希望が心の中心に正しく据えられることで、自分というロウソクの灯は揺れることはあっても消えることはないのです。

二つ目には蝋が求められます。自分を燃やす蝋がなければ、ロウソクを灯すことはできません。では私たちは何を燃やしながら自分というロウソクを灯すのでしょうか。それは、ほかでもなく自分の闇なのです。つまり不安、自責の念、怒り、妬み、憎しみ、エゴイズム、高慢、優越感などのようなものです。実際ロウソクが闇を吸い込んで蝋と共に燃やしながら光を灯すように、自分というロウソクも誰もが無くしたいと思う心の闇を燃やしながら光を放ちます。ところが、心の暗闇というはそう簡単に無くなるものではありません。時が経っても心の底に沈んでいる場合がほとんどなのです。それゆえ、心の暗闇は燃やして無くさなくてはなりません。自分というロウソクの芯である希望に火をつけて燃やすのです。希望の芯に火をつけることは、キリスト教においてはお祈り・黙想・礼拝・学びなどを通してできますが、そのようなことを行う過程で闇は浄化されていくのです。少しずつ闇を燃やしていく時、自然に自分というロウソクの光は周囲を照らすようになります。

皆さん、自分というロウソク、その希望の芯に火をつけて闇を燃やし続けてください。それこそが、キリストに倣った者の生き方です。ご存じのように、ロウソクが灯す光が最も強くて明るくなるのは、蝋を燃え尽して、これ以上燃やす蝋が無い最後の瞬間です。そのように私たちも、ご自身を捧げることを通して世の中の闇を退け、人類に光をもたらしたキリストに倣って、一番明るい光を照らす最後の瞬間まで自分の闇を燃やすことを諦めてはなりません。私たち一人ひとりは、光を灯すために天から送られた者なのです。  




<福音書> ルカによる福音書 2章22~40節

さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。 23それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。 24また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。

25そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。 26そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 27シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。 28シメオンは幼子を腕に抱き、神をたたえて言った。

29「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり
  この僕を安らかに去らせてくださいます。
 30わたしはこの目であなたの救いを見たからです。
 31これは万民のために整えてくださった救いで、
 32異邦人を照らす啓示の光、
 あなたの民イスラエルの誉れです。」

33父と母は、幼子についてこのように言われたことに驚いていた。 34シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。 35――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」

36また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、 37夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、 38そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。
ナザレに帰る

39親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。 40幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。

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