聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年12月8日(降臨節第2主日)(2024/12/10)

チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 キムチ 」(ルカ3:1-6)

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『主の道を整え、
 その道筋をまっすぐにせよ。』
 (ルカ3:4)

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「 キムチ 」

 “希望とは地上の道のようなものである。本来、土地の上には道というものはなかった。誰か一人が先に歩いてから、その後、歩いていく人が多くなると、それがまさに道になるのだ。” これは小説『阿Q正伝』で広く知られ、中国近代文学の礎を築いたと評される小説家で思想家の魯迅(ルーシュン、1881-1936)の短編小説「故郷」(1921)の結びにおかれた一節です。魯迅は、希望を道に喩えて語りましたが、これはキリスト教の理念、ことに今のアドベント(クリスマスまでの4週間、降臨節や待降節とも言う)が示している精神とも近いです。アドベントとは、クリスマスを通してキリストがお出でになることを期待し、救いを希望し、キリストの道を整える期間であるからです。

 アドベント第2主日を迎えている今日の福音書は、洗礼者ヨハネについて伝えています。およそ2千年前、キリストは洗礼者ヨハネが整えた道を通して救いのみ働きの道を歩まれました。キリストは、ご自身が「道であり、真理であり、生命である」(ヨハネ14:6)と語られたように、私たちを生命と真理、つまり救いに導くため自らが道そのものになられました。主は、誰でも歩ける道、いつでも歩ける道、行く途中に疲れたらしばらく休んだりすることのできる道なのです。道になるためにキリストは、ご自身を整える厳しい過程を進まれ、最終的には十字架にご自身をゆだねることまでなさいました。自らが曲がった険しい道をまっすぐに整えられて、私たちが楽に歩むことができるようになってくださったのです。そのキリストがこれからクリスマスを通して私たちのところへ再び来られます。それゆえ、2千年前にキリストが私たちのためになさったように、これからはお出でになるキリストのために、私たちを献げることが求められます。洗礼者ヨハネンがそうしたように、これからは私たちがまさに「主の道」(4節)にならなくてはならないのです。

 キムチを好きでしょうか。キムチは世界的な健康食品として知られていて、色々な種類があります。韓国人である私よりキムチが好きな方々にしばしば会いますが、キムチがどのようにして絶妙な味を出すことができるのかご存じでしょうか。キムチが本格的な味を出すためには、主な素材である白菜、大根、キュウリなどが死ななくてはなりません。キムチの代名詞である白菜キムチのことを例として取り上げてみますと、先ず、白菜は土から引き抜かれるときに一回死にます。そして、抜かれた白菜は包丁で二等分か四等分に切り分けられてもう一回死にます。また、切られた白菜は、塩に漬けられながらもう一回死で、辛い唐辛子としょっぱい塩辛と混ぜ合わせられて、また死にます。そして、最後に大きな壺に入れられ土に埋められることを通してもう一回死にます。このように5回も死んで発酵される過程を通して、やっと本格的なキムチの味を出すことができるようになるのです。
このような過程を通して作られるキムチのように、私たちも自分自身を献げて死ぬ過程を通してこそ、やっと味を出すことができます。信仰の味、真の人生の味を出せます。私たちもキムチのような絶妙な味を出せるためには、洗礼者ヨハネのように喜んで自分を献げて、今日の「主の道」にならなくてはなりません。アドベントを過ごす私たち皆が、自分自身を良く整えて、クリスマスを通して再びお出でになるキリストの道になりますように、一人ひとりの上に神様の守りがあるように祈ります。



<福音書> ルカによる福音書 3章1~6節

皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、 アンナスとカイアファとが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに降った。 そこで、ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。 これは、預言者イザヤの書に書いてあるとおりである。

 「荒れ野で叫ぶ者の声がする。
  『主の道を整え、
   その道筋をまっすぐにせよ。
   谷はすべて埋められ、
   山と丘はみな低くされる。
   曲がった道はまっすぐに、
   でこぼこの道は平らになり、
   人は皆、神の救いを仰ぎ見る。』」

 

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