チャプレン ヨナ 成成鍾 司祭
「 コンパニオン・アニマル 」(マルコ11:1-11)
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「向こうの村へ行きなさい。
村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない
子ろばのつないであるのが見つかる。
それをほどいて、連れて来なさい。」
(マルコ11:2)
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「 コンパニオン・アニマル 」
「コンパニオン・アニマル(companion animal)」という言葉がありま す。「伴侶動物」とも言います。ペット(pet)だと飼い主に所有されて飼われる愛玩動物を指しますが、コンパニオン・アニマルとは人間と生活を共にする伴侶や家族として精神的・身体的な支えとなる存在のことを指します。現代の哲学においては、犬や猫などの動物だけではなくロボットやサイボーグのように生命と非生命の違いすら乗り越えて共に寄り添う存在のことを指す「伴侶種」(ダナ・ハラウェイの『伴侶種宣言』より)という表現もあります。
今の時代に言われる「伴侶動物」や「伴侶種」ではないけれども、聖書にも蛇、羊、ロバ、犬などのたくさんの動物が登場します。ほとんどは象徴的な意味を以ていて物語の内容を豊かにしますが、ロバはその代表的な動物です。中東地方の生活や労働などに欠かせないロバは、キリストのみ働きの過程においても大事な役目を果たす存在でした。今日の福音書によりますと、キリストによって遣わされた弟子たちは「主がお入り用なのです」(3節)という言葉を以て、飼い主から子ロバを譲ってもらい、キリストがその子ロバに乗って最後のみ業の成就のためエルサレムに入城されます。当時の王など偉い人たちのように馬に乗ることもできましたが、キリストはロバ、しかも「まだ誰も乗ったことのない子ロバ」(2節)を用いられました。キリストを背中に乗せて最後の旅路を伴われたので、子ロバこそ言葉の通り「コンパニオン・アニマル」だったと言えましょう。
では、なぜキリストは、わざわざ子ロバを用いられたのでしょうか。それにはどのような意味が込められているのでしょうか。三浦綾子(1922-1999)の『ちいろば先生物語』で広く知られている榎本保郎(1925-1977)牧師は自分のことを「ちいろば牧師」と表しましたが、私たちは誰もが子ロバのようなものです。経験が浅く、背が低く、足が遅く、力が弱い存在であるにも拘らず、むしろそのように未熟で弱点が多い存在であるからこそ、キリストに召されて用いられているのです。キリストは、私たちの力、経験、知識、信仰などの有る無しではなく、ただ命ある一人の人間であるから、つまり私は私であり、あなたはあなたであるから用いてくださるわけです。それがキリストの愛なのです。
殆どの人は、この世に生まれてきたからには、誰かにあなたと出会って良かった、あなたが居てくれてありがとうなど、たまにはそのようなことを言われたいと思います。そのように言われ、何かに役に立つと思われると、生きる力を得るようになるのです。そういう意味で、私たちにとって「主がお入り用なのです」という言葉は、恵みそのものだと言えます。能力がない、経験がない、知識がない、信仰がない、または病気である、年を取りすぎている、などのことを耳にすることがありますが、そのようなことは決して重要な部分ではありません。私たち一人ひとりには子ロバのように、世の中に価値あるもの、人々や神様に役立つ者として生きるようにと、今の人生が与えられているからです。皆さん「主がお入り用なのです」という言葉を恐れつつもありがたく受け取りましょう。そして自分を捧げてキリストを乗せた子ロバのように、私たちもキリストと共に歩む者になりましょう。今もキリストは今日の子ロバである私たちを用いて、私たちを通して人類の救いを成就させるために働かれています。
<聖書> マルコ福音書11:1-11
1一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、 2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。 3もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 4二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた。 5すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。 6二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。 7二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。 8多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。 9そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。
「ホサナ。
主の名によって来られる方に、
祝福があるように。
10我らの父ダビデの来るべき国に、
祝福があるように。
いと高きところにホサナ。」
11こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。