聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年10月6日(聖霊降臨後第20主日)(2024/10/08)

チャプレン ヨナ 成成鍾司祭
「 離婚 」 (マルコ10:2~9)

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天地創造の初めから、
神は人を男と女とにお造りになった。

それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
二人は一体となる。

だから二人はもはや別々ではなく、一体である。

従って、神が結び合わせてくださったものを、
人は離してはならない。

(マルコ10:6-9)

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「 離婚 」

「三行半」という言葉があります。江戸時代に離婚の際に夫が妻の家族に出した離縁状のことです。離縁状には離婚を決めた理由と妻の再婚を許可する旨の言葉が三行半にまとめられていたため、そのような表現になったようです。時代が変わっても、離婚したいという意思を表明することを「三行半を突き付ける」と表現します。キリスト教の源流であるユダヤ教にも「妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、妻に離縁状を書いて渡し、家を去らせることができる。」(申命記24:1)という掟がありました。ところが、キリストは今日の福音書の中で「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(9)と、結婚が神聖な営みであるから離婚はしてはならないということを語られました。この言葉は教会で執り行われる結婚式の誓約のときに用いられます。それゆえ、家庭内で起こるドメスティック・バイオレンス(domestic violence;DV)、子どもの虐待、精神的なDVだとも言われるモラル・ハラスメント(Moral harassment)などがあるとしても、この言葉に縛られて自分を殺しながら心の無い結婚生活を送る方もいます。ではキリストのこの言葉を今日の私たちはどのように理解すればよいのでしょうか。

キリストが生きられた時代は完全に男性中心社会であったため、女性は男性の所有物にすぎませんでした。それゆえ、離婚は夫婦双方ではなくて、夫が妻を捨てる一方的な行為で、夫は「妻に何か恥ずべきこと」があった場合はいつでもそれができました。問題は何が恥ずべきことなのかについての解釈なのです。その範囲には「夫の話をたった一言でも守らない」、「夫を不快にさせる」例えば「夫の皿を綺麗にしない」、「道で他の男と話す」、「夫の親の悪口を言う」などが含まれ、極めつけは妻より美しい女性を見つければ、それも離婚の理由になりました。そのようなことで離婚された女性は、人間として保障されるべき基本的な生活ができなくなってしまい、夫が死んでも妻は死んだ夫の所有物であるという理由で、ほとんどは再婚さえできませんでした。

そのような状況の中、キリストは、特に女性の人間らしい生活に対する保障という脈絡で夫が妻を捨てることを禁じられたのです。離婚を通して大切な人間の人生を破壊することをしてはならない、神様から与えられた尊厳を守らなくてはならない、という教えとしても受け止めることができます。つまり、どのようなことであっても、愛されるために生まれてきた人の運命を奪い、大切な人生を破壊してしまうことがあってはならないということなのです。私たち一人ひとりは、社会的な通念を越えて、経済的な問題や心身の健康状態に縛られることなく、つまり、今どのような状況に置かれているとしても、人間としての価値が認められるべき大切な存在であるわけです。結婚と離婚は制度を超えて、本来の愛・幸せ・自由などの言葉で表現できる人間の尊厳という観点から理解しなくてはなりません。


<福音書> マルコによる福音書 10章2~9節

2ファリサイ派の人々が近寄って、「夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか」と尋ねた。イエスを試そうとしたのである。 3イエスは、「モーセはあなたたちに何と命じたか」と問い返された。 4彼らは、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」と言った。 5イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、このような掟をモーセは書いたのだ。 6しかし、天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。 7それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、 8二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。 9従って、神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」

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