聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年9月22日(聖霊降臨後第18主日)(2024/09/25)

チャプレン ヨナ 成成鍾司祭
「 逆説 」

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「いちばん先になりたい者は、
すべての人の後になり、
すべての人に仕える者になりなさい。」

(マルコ9:35)

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「オクシモロン(oxymoron))という表現の技法があります。矛盾語法や撞着語法とも言いますが、例えば「声なき声」「明るい闇」などのように、相反する言葉を合わせて表現することを指します。オクシモロンという言葉自体が、ギリシア語で「鋭い」という意味のoxyと、「鈍い・愚か」という意味のmoronが合わさってできた「鋭敏な鈍感・賢明な愚者」という意味の矛盾的な表現なのです。よく知られている有名な表現としては、古代ギリシアの哲学者ソクラテス(Socrates、BC470頃–BC399)の核心的な教えである「無知の知」、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare、1564-1616)の戯曲『ロミオとジュリエット(Romeo and Juliet)』の中、ジュリエットが別れ際に語った「別れは甘く切ない(Parting is such sweet sorrow。)」、またはアメリカのフォーク・デュオのサイモン&ガーファンクル(Simon & Garfunkel)の楽曲「サウンド・オブ・サイレンス」(The Sound of Silence)、つまり「沈黙の音」などの表現が挙げられます。日常生活の中にも格言になっているオクシモロン表現は多くありますが「急がば回れ」、「負けるが勝ち」、「ゆっくり急げ」などがその例です。

聖書にもオクシモロンのように、一見矛盾しているようで真理を述べている逆説的な教えが多くあります。今日の福音書の「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」(35)や「子どもの一人を受け入れる者は、私を受け入れるのである。」(37)のもその一つです。キリストの教えは基本的に逆説的です。先になるためには後にならなくてはならない、偉くなるためには仕えなくてはならない、得るためには捨てなくてはならない、生きるためには死ななくてはならないなど。これは勝ち組や負け組みという言葉が通用する世の中の価値基準とは相反する教えなのです。ところが、キリストは自らの生き方、つまり人々のために命までも捧げるほど徹底した仕える人生を送ることを通して、逆説的な教えが真理であることを明かされました。だからこそ、逆説的にも一番弱い存在を象徴する子どもを受け入れることが、キリストを受け入れることにもなるわけです。
ラビと言われるユダヤ教の先生が弟子たちと旅に出ました。ある日、弟子の一人が先生に聞きました。“先生は以前、真理というのは道端の小石のようなものだと、だからどこにでもあるのだとおっしゃいました。それではなぜ人々は、そのように近くにある真理を悟ることができないのでしょうか。”すると先生は“確かに真理は道端の小石のようにどこにでもある。けれども、それは腰を屈めなければ拾い上げることができないものでもある。殆どの人は腰を屈んで自分のことを低くすることをしないから悟れないのだ。”と答えました。

皆さん、何かに対して人々から認められる存在でありたいでしょうか。そうすると誰より謙るもの、皆のために仕える者になってください。それができればできるほど真理に近づきますし、少しずつ頂いていく真理によって、何ごとにおいても先へと進む存在になれます。そして、未だに自分の中に潜んでいる子ども的な要素、つまり自分の弱さをありのまま受け入れるように努めてください。誰もが持っているけれども、できれば隠したくなり、場合によっては否定したくなる、自分の中の弱くて脆い部分を拒むのではなく、勇気を持って向き合い、ありのまま受け入れて愛してください。そうすることによって、私たちはキリストを受け入れることになり、そのキリストが自ら同伴者となって神様へと導いてくださいます。本当の意味で大人、霊的な成人へと導いてくださるのです。キリストの逆説的な教えのことを覚えつつ、自分を愛する日々でありますようにお祈りいたします。

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