聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年7月7日 ( 聖霊降臨後第7主日)(2024/07/10)

チャプレン ヨナ 成成鍾司祭
「 アップグレード 」(マルコ 6:1~6)

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イエスは、
「預言者が敬われないのは、
自分の故郷、親戚や家族の間だけである」
と言われた。
(マルコ6:4)

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<マルコ 6:1~6>


イエスはそこを去って故郷にお帰りになったが、
弟子たちも従った。

安息日になったので、
イエスは会堂で教え始められた。


多くの人々はそれを聞いて、驚いて言った。

「この人は、このようなことをどこから得たのだろう。
この人が授かった知恵と、
その手で行われるこのような奇跡はいったい何か。

この人は、大工ではないか。

マリアの息子で、
ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの
兄弟ではないか。

姉妹たちは、
ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」

このように、人々はイエスにつまずいた。


イエスは、

「預言者が敬われないのは、
自分の故郷、親戚や家族の間だけである」

と言われた。

そこでは、ごくわずかの病人に手を置いていやされただけで、
そのほかは何も奇跡を行うことがおできにならなかった。

そして、人々の不信仰に驚かれた。


<メッセージ>



「 アップグレード 」

チャプレン ヨナ 成成鍾司祭

「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの/よしや/うらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや」これは室生犀星(1889‐1962)が書いた「小景異情(その二)」という詩です。詩集『抒情小曲集』に掲載されているこの詩を通して室生犀星は、故郷は懐かしくてたまらないけれども、仮に異郷で落ちぶれて乞食となることがあったとしても決して帰るべき所ではない、と詠いました。実際これは故郷の金沢に帰ったおりに作られた詩で、懐かしいはずの故郷で疎外感にさいなまれて二度と帰るまいと誓った、という複雑な思いが込められているのです。

キリストにも同じことがありました。なんとキリストさえご自身の故郷で疎外感を覚えられたのです。当時、たくさんの人々に尊敬され、赴かれる各所において歓迎されたのですが、故郷では歓迎どころか救い主としてもあまり認められませんでした。それは故郷の人たちにキリストに対する先入観や固定観念があったからです。彼らは、お隣のおばさんマリアの息子であるキリストが、どのように成長してきたのか何もかも知っていたのです。彼らの頭にあるキリストについての過去の情報や固定観念が、自分たちの目の前で行われている救いの教えや奇跡を受け入れることを妨げたのです。

世界的な神学者でアメリカ聖公会の主教ジョン・シェルビー・スポング(John Shelby Spong、1931–2021)は『なぜキリスト教は変わらなければ死ぬのか(Why Christianity Must Change or Die: A Bishop Speaks to Believers In Exile)』というタイトルの本を出版しました。内容はだいぶ進歩的なので既存の教会が彼の主張を受け入れることは難しいかもしれませんが、「キリスト教が変化しなければ駄目になる」という彼の主張は妥当だと思います。キリスト教の信仰と教会は、変化し刷新し続けることをアイデンティティとしているからです。キリストは過去の存在ではなく、永遠なる現在を生きる存在として今も私たちと共に生きておられます。それゆえ、万一私たちが偏見とか固定観念という古い情報に基づいた過去の信仰を持っているならば、キリストも、教会も、御言葉もただ過去の遺物に転落してしまいます。

情報というものは、それがどのようなものだとしても新しくアップグレード、つまり更新しない限り、何の価値もないもの、むしろ害を招くものになってしまいます。信仰もアップグレードしなくてはなりません。信仰は過去のものでも、未来のものでもありません。信仰は過去のことを教訓とみなしながら未来を準備する現在進行形なのです。アップグレード、それは教会や信仰だけではなく、人の心の持ち方や生活の在り方をはじめ、私たちが関わっているあらゆる営みや組織の在り方にも適用される最も基本的な行いです。成長の原則、成熟の鉄則だと言えます。有機的なものは、それが人であれ組織であれ、絶えずアップグレードして変わらなければ消滅してしまうのです。

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