聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年6月9日 聖霊降臨後第3主日(2024/06/12)

チャプレン ヨナ 成成鍾司祭
「 青い鳥 」(マルコ3:20 ‐35 )

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「神の御心を行う人こそ、
 わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」
 (マルコ3:35)

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<マルコ3:20~35>


家が内輪で争えば、その家は成り立たない。

同じように、サタンが内輪もめして争えば、
立ち行かず、滅びてしまう。

また、まず強い人を縛り上げなければ、
だれも、その人の家に押し入って、
家財道具を奪い取ることはできない。

まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

はっきり言っておく。

人の子らが犯す罪やどんな冒瀆の言葉も、
すべて赦される。

しかし、聖霊を冒瀆する者は永遠に赦されず、
永遠に罪の責めを負う。」

イエスがこう言われたのは、
「彼は汚れた霊に取りつかれている」
と人々が言っていたからである。

イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、
人をやってイエスを呼ばせた。

大勢の人が、イエスの周りに座っていた。

「御覧なさい。
母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」

と知らされると、イエスは、

「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、

周りに座っている人々を見回して言われた。

「見なさい。
ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
神の御心を行う人こそ、
わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」




<福音メッセージ 「青い鳥」>

 
 ベルギーの劇作家モーリス・メーテルリンク(Maurice Maeterlinck, 1862-1949)の『青い鳥』という童話劇があります。チルチルとミチル兄妹が幸せを呼ぶと言われる青い鳥を探しに旅に出ます。色々な国で青い鳥を見つけて持ち帰ろうとしましたが皆途中で死んでしまいました。結局、冒険しながら青い鳥を探し求めたものの、捕まえられず家に戻ってきました。すると、お母さんの声で目覚めたクリスマスの朝、家の白い鳥が青い鳥に変わっていた、という内容です。幸せは身近に、もともと自分の中にあるというメッセージが込められている物語です。日本では青い鳥が幸せの象徴として理解されていますが、西欧の世界においては希望や平和、愛や真理など、さまざまな理解として解釈されています。私はこの青い鳥のことを、それらすべてのことの与え主であるキリストとして読むこともできるのではないかと思います。

 今日の福音書の物語は、家の「中」と「外」を舞台として展開されます。家の「中」にはキリストが人々と神の国について語り合っている場面として希望と喜びに満ち溢れています。その半面、「外」からはキリストが悪霊に取りつかれているという噂を聞いて訪ねてきた母マリアと兄弟姉妹による心配と不安が感じられます。聖書に出てくる「家」というものは単に物理的な空間としての住まいだけではなく、人間存在そのものを象徴するキーワードでもあります。それゆえ、相反する雰囲気の家の「中」と「外」のことは、今の自分の心理や霊的な状態を表してくれるものとして読み取ることもできます。

 中世を代表する女性霊性家、ノリッジのジュリアン(Julian of Norwich、1342?-1413?)はこう歌いました。“神様は、ご自身が私たちと共にいることを私たちが信じてくれるよう望んでおられる。神様は三つのパターンで私たちと共におられる。一つ目は天の国にて、二つ目はこの世でのささやかな瞬間瞬間に、三つ目は私たちの深い内面、つまり魂の中で私たちと共におられる。神様はいつも共にいて私たちを守り導いてくださる。” ジュリアンの話のようにいつどこにおいても、どのような状況だとしても自分がいるところには、ことに私たちの魂の中にはキリストも共におられます。それゆえ、これ以上、「外」でキリストを探し求める必要はありません。まるで青い鳥のようにすでに「中」におられる方を「外」で探し求めることは愚かなことです。

 13世紀のベルシアの詩人、ルーミー(Rumi、1207-1273)が“私が私自身を愛するのであれば、それはあなたを愛することであり、私があなたを愛するのであれば、それは私自身を愛することなのです。”と歌ったように、私たちにとってキリストは自分が認識している自分より近い存在です。青い鳥が家の「外」ではなく「中」に生きているように、愛し合っている私たちとキリストは、もはや別々の存在ではないのです。

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