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2024年5月5日 復活節第6主日(2024/05/08)

チャプレン ヨナ 成 成鍾(ソン・ソンジョン)司祭

「 友なるキリスト 」ヨハネ15:9-17

<ヨハネ15:9-17>


父がわたしを愛されたように、
わたしもあなたがたを愛してきた。

わたしの愛にとどまりなさい。

わたしが父の掟を守り、
その愛にとどまっているように、
あなたがたも、わたしの掟を守るなら、
わたしの愛にとどまっていることになる。

これらのことを話したのは、
わたしの喜びがあなたがたの内にあり、
あなたがたの喜びが満たされるためである。

わたしがあなたがたを愛したように、
互いに愛し合いなさい。

これがわたしの掟である。

友のために自分の命を捨てること、
これ以上に大きな愛はない。

わたしの命じることを行うならば、
あなたがたはわたしの友である。

もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。

僕は主人が何をしているか知らないからである。

わたしはあなたがたを友と呼ぶ。

父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。

あなたがたがわたしを選んだのではない。

わたしがあなたがたを選んだ。

あなたがたが出かけて行って実を結び、
その実が残るようにと、

また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、
わたしがあなたがたを任命したのである。

互いに愛し合いなさい。

これがわたしの命令である。





<メッセージ>


今日の福音書の中で、キリストは弟子たちのことを「友と呼ぶ」(15)と宣言されました。それはキリストの時代のことを鑑みますと革命的なことだったのです。これには以下のような歴史的な背景があります。当時ローマ皇帝の宮殿には、王によって選ばれた人々がいました。彼らは皇帝の友と呼ばれて特別な待遇を受けました。殆どの人には、王に直接会うためには様々な手続きを踏まなければならない複雑な過程が求められていましたが、彼らにはフリーパスで王と会う特権が与えられていました。そして王は将官や政治家たちと話す前に、先ず友である彼らに相談をしたというのです。このように王にとって友とは特別な存在だったのですが、キリストも弟子たちのことを友と呼ぶことを通して、そのような特権を与えられたのです。そしてその特権は、今日の弟子である私たちにも受け継がれています。つまり、キリストは今日も友となった私たちに、御心を何一つ隠すことなく全て分かち合ってくださっているわけです。それがキリストの友であるキリスト者という存在なのです。

では皆さん、キリストの友として弟子たちに与えられ、今日の私たちにも受け継がれているその特権は、今、活かされているのでしょうか。キリストの友である皆さんは、友であるキリストとどのように会い、どのように交わり、どのように御心をいただいているのでしょうか。創世記18章には「神の友」(ヤコブ2:23)と呼ばれたアブラハムが登場するのですが、神様はソドムという罪にまみれた都市を滅ぼそうとしたときに、そのことを友であるアブラハムだけに打ち明けてくださいました。ところが、それは昔のアブラハムだけに限られた出来事ではありません。今現在も神様はいろんな方面から友である私たちに声をかけてくださいます。まさにキリストは、今日の私たちもアブラハムのように「神の友」であることを、私たちが自覚するよう願っておられます。キリストは絶えず私たちに、聖書という書かれたみ言葉、自然という創造されたみ言葉、イメージや想像力という無形なみ言葉をもって語りかけ、聖霊の働きを通して教え、導こうとしておられます。それゆえ、私たちには御心をいただくために、あらゆる方面から聞こえてくるみ声に耳を傾けることが求められます。それはキリストの友である私たちに与えられた恵みであり、また務めでもあるのです。

友という存在の偉大さについて三重苦の聖女と呼ばれるヘレン・ケラー(Helen Adams Keller、1880-1968)は次のような言葉を残しました。 “光の中を一人で歩むよりも、闇の中を友と共に歩むほうが良い。” 私たち一人ひとりにとってキリストは、まさにそのような友なのです。いつどこでも共におられ、何があっても変わることのない友、それがキリストという存在なのです。そのような友があること、それこそ何とも比べられない幸せなことでありましょう。

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