聖路加国際大学 聖ルカ礼拝堂

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2024年4月14日 復活節第3主日(2024/04/15)

チャプレン バルナバ 関 正勝 司祭

「 まさしく私だ 」 ルカ24:36-48

イエスが十字架に架かり死なれたという出来事は、イエスに出会って生きる力と希望を得ていた者たちにとって、彼らを絶望の深い淵に突き落とす出来事に他なりませんでした。彼らはイエスを十字架につけたこの世界の闇の力を怖れて、自分たちの小さな世界に鍵を懸けて閉じ篭っています。

そのような弟子たちの「真ん中」にイエスは立たれて「平和があるように」と語られます。彼らはこの現実を前にして茫然自失し、「取り乱しています」(ルカ福音書24:38)

彼らはイエスが生きておられるという現実を受けとめることが出来ません。その事態を福音記者ルカは、イエスが復活されたことを客観的に観察できる現実として述べようとします。しかし、イエスが復活して生きておられるということは、客観的に実証できる出来事とは異なります。

「ここに何か食べ物があるか」と問われるイエス。そして差し出された「焼いた魚一切れ」、それを「彼らの前で食べられる」イエスの姿が記されます。「彼らの前で」とは彼ら弟子たちと一緒に食したということを意味しています。

生前イエスが人々と共に食する姿がしばしば語られます。その中で弟子たちはイエスに出会う経験を味わっています。

エマオという村に向かう二人の弟子の経験もそうでした(ルカ24:13以下)。彼らはイエスが十字架の上で死なれたことを語り合いながら悲しい思いを抱いて歩んでいます。イエスがその彼らに同伴されます。

しかし彼らがその人がイエスだと分かるのは共に食事をすることによってでした。イエスと生前共に食することがイエスがどなたであるかを知らされる場であったと言えましょう。

「焼き魚」を共に食するということでイエスがかつて彼らに語られたイエスの苦難と死が人々にとっての命、また希望であることを信じる、彼らの「こころの目が開かれる」時でした。ここから彼らは彼らの「真ん中」に生きておられるイエスに再び出会って、生き始めるのでした。

復活という出来事はイエスを信じる者たちが、死に支配されてその恐怖に飲み込まれてしまうのではなく、その恐れや悲しみや不安を抱きながら、それにもかかわらずその底から立ち上がって生き始める姿のうちにこそ証しされている出来事、その事実であると言えましょう。

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