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■管区事務所だより第200号もくじ■

Page1 □「真の平和と和解のために」 アメリカ聖公会総裁主教グリズウォルド師父説教 □米国聖公会総裁主教の来日の意義 □パキスタン北部大地震救援募金に関するお願い □教区制改革委員会より
Page2 □会議・プログラム等予定 □主事会議 □各教区・神学院・出版物 □人事・移動 □第5回聖公会手話関係者全国の集い in横浜 □ccea会議について □新刊紹介


 
管区事務所だより
2005年10月25日 第200号
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□「真の平和と和解のために」 アメリカ聖公会総裁主教グリズウォルド師父説教 □米国聖公会総裁主教の来日の意義
□パキスタン北部大地震救援募金に関するお願い
 □教区制改革委員会より 


「真の平和と和解のために」
アメリカ聖公会総裁主教グリズウォルド師父説教

2005年10月23日
於 日本聖公会神戸教区 広島復活教会

   キリストにある兄弟・姉妹、妻フィービーと米国聖公会から私に随行してきた人たちを代表し、ご挨拶申し上げます。聖霊降臨後第23主日にあたる本日、宇野日本聖公会首座主教、中村神戸教区主教、そして信徒の皆さまと礼拝を共にできましたことを大変光栄に思います。今朝、平和記念公園を訪問しました。その際、あの恐ろしい出来事によって引き起こされた生々しい惨状の痕跡の数々を目の当たりにし、私の心は痛み、言葉で言いつくせないほどの後悔の念と悲しみに蔽われ、一抹の寂寥感さえ覚えました。平和公園や原爆資料館は人が犯すこのような過ちを二度と繰り返してはならないと私たちに訴えております。

アメリカ聖公会総裁主教グリズウォルド師父説教中の様子
平和を望むこのメッセージを胸に抱きながら今朝の福音書を読みますと、慰めと同時に主イエスからの挑戦をひしひしと感じます。この世における信仰の中心は、創造者である神と隣人を愛することであり、そのために私たちは召されていることを主イエスは明らかにしています。広島における原爆の悲劇は、神と隣人に対する冒涜に他なりません。広島だけではなく長崎の原爆による悲劇の痕跡を歴史の証拠として永久に保存しておくということは極めて大切なことです。過去の過ちを風化させず悲劇を繰り返さないためにも、平和公園や原爆資料館が果たす役割は極めて重要です。同時に、キリスト者共同体の一員である私たちは、主イエスの愛の戒めを心に刻み、過去の過ちが二度と繰り返されることがないよう訴え続ける使命を担っています。

8月に宇野日本聖公会首座主教からメッセージを受け取りました。それは、広島及び長崎に原爆が投下され、第二次世界大戦が終結して60年の節目の年、8月15日に「8・15平和のメッセージ」として出されたものです。この「平和のメッセージ」を読んだ時から、私は広島を是非訪問すべきだと思い続けておりました。

今、それが現実となりました。アメリカ人と日本人は二つの異なった国民ではありますが、一つの信仰、キリストにおける同じ共同体の一員として、最も大切な戒めである隣人愛に反する戦争や暴力の根絶を訴えていくために共に手を携える必要性を強く感じております。本日、教区主教、首座主教、そして信者の皆さまに、ここでお会いできたことは喜ばしい限りです。私たちは皆、キリストにおける一つの家族、兄弟姉妹だということの認識を新たにされたことを共に喜びましょう。
日本聖公会と米国聖公会は今日に至るまで、和解のために様々な取り組みを行ってきました。第二次世界大戦終結50年の前年1994年、米国聖公会総会ではこれを記念する礼拝を行いました。この礼拝は広島及び長崎の原爆によって罪無き人々が被った苦しみに対する悲しみと懺悔を表明するというテーマで実施されたものです。

1995年にはアメリカ国内では数多くの記念式典が執り行われました。サンフランシスコの「グレース大聖堂」では「癒しと和解」をテーマにした礼拝で、日本聖公会の飯田主教が説教を行いました。同年、日本聖公会では清里で宣教協議会が開催されました。その翌年には第49日本聖公会総会の意志表明が好意をもって受けとめられました。総会の席上、日本聖公会は、戦前・戦中における日本軍による植民地支配及び侵略戦争を支持し、それに加担した責任を認めました。日本聖公会のこの表明は謙虚な姿勢と多大な勇気をともなう立派な決議でした。

1997年、米国聖公会総会に出席した飯田主教と仲村主教に対し、1945年の広島・長崎に投下された原爆によってもたらされた日本の人たちの苦しみに対して、米国聖公会より深い哀悼の意が表明されました。

この一連の行為は、神の愛のことばを伝え、日本と米国の和解を実現するために神ご自身がこの人たちを遣わされた結果なのです。ここにお集まりの皆さまに申し上げます。今、皆さまの前に立っている私は、1945年8月6日この広島に、そして9日には長崎に投下された原爆によって生じた悲劇に苦しむ人々に対し、深い悲しみ、哀悼、懺悔の意を表明いたします。同時に、私は二つの国民が過去に被った悲劇に対する互いの懺悔、和解をさらに訴え続けていく責任を痛感しております。

もちろん広島、長崎以外の悲劇も忘れてはなりません。沖縄では、痛ましい戦闘で尊い人命が数多く失われました。沖縄に住む人々の日々の暮らしに影響を与えている沖縄在留米軍基地の問題はまだ解決されていません。主イエスの説く隣人愛は、現実的かつ政治的な複雑さをはらんでいます。

米国聖公会総裁主教として私がもっとも失望したのは、合衆国政府が対イラク戦争を決定した瞬間でした。私はこの戦争に反対し、開戦前の2002年9月にブッシュ大統領あてに書簡を送り、米国が単独で攻撃をしかけると何百万人もの人たちの怒り、特にアラブ世界の怒りを買うことになり、終わることのない暴力と復讐の連鎖が生み出され、長期的にみると、テロ撲滅に向けた米国の国益に適わないばかりか米国とその他の国々のデリケートな関係を刺激し、国家間の関係を弱める結果ともなる、との警告を致しました。

唯一の超大国と称される米国は、神の名のもとに、最高の僕に徹する役割を果たすと宣言すべきなのです。アメリカは、自分の国だけではなく私たちの同胞である世界各国の貧困、病気をはじめとした諸問題に取り組むことによって、私たち自身が支持する価値や理想を反映する機会を得ることができるのです。私はこの主張を訴え続けていく所存です。

聖餐式の様子

「8・15平和のメッセージ」のなかで宇野首座主教は「米国政府は、イラク派遣要請などを通して日本に軍拡路線を歩ませようとしており、恒久平和を謳った憲法9条を破棄させることによって、日本をかつての軍事国家にしようとしている」と指摘しました。宇野首座主教の預言者的ことばに称賛の意を送り、主教の見解を前面的に支持します。アメリカ合衆国は、癒しと和解の取り組みに指導性を発揮し、暴力と復讐の怒りの連鎖を助長する政策は避けるべきなのです。

全世界の主教が集う最大の組織であるランベス会議は、「国際紛争を解決する手段としての戦争は、主イエス・キリストの教えと行いに背くものである」との声明を1930年及び1968年に出しました。同じイエス・キリストが、今日においても私たちに神と隣人への愛を命じておられるのです。主イエスの偉大な戒めに反して戦争を実施するのは大きな矛盾です。この戒めによって生きようとしている私たちは、実は数々の過ちを犯しているのです。

主イエスの愛の戒めはキリスト者の共同体だけに命じられ、これを実行するよう求められているのではありません。愛の戒めは全世界に向けて発せられたものなのです。

グリズウォルド主教と中村主教私たちは今、ここで、愛の戒めを今に生きる人たちに伝える決意を明らかにしようではありませんか。
(日本語訳:神戸教区主教 中村 豊)
(写真提供:宮地寛仁)



グリズウォルド米国聖公会総裁主教日程 2005年10月18日(火)〜23日(日)
10月18日(火)成田空港着  20日(木)日本聖公会主教会との懇談(聖アンデレ教会)、名誉博士号授与式(立教大学チャペル)  21日(金)聖公会神学院訪問、講演。立教大学にて講演。聖路加国際病院訪問、戦争犠牲者追悼と平和のための祈りおよび献花(聖ルカ礼拝堂)  22日(土)KEEP施設訪問。KEEP、BSA関係者と懇談  23日(日)広島。平和記念公園、原爆資料館見学、献花。広島復活教会主日礼拝説教。広島空港発ソウルへ




■米国聖公会総裁主教の来日の意義
管区事務所総主事 司祭 ローレンス 三鍋 裕
 大変な10日あまりでした。CCEA(東アジア聖公会協議会)主教会が東京で開催され、日本聖公会主教会がそれに続き、そして今回来日されたグリズウォルド米国聖公会総裁主教ご夫妻関連の諸行事。裏方を務める私たちも大変でしたが、色々なプログラムが実り豊かに終了したのは本当に多くの方々のご協力があったおかげです。あまりにも多くの方にお世話になりましたので、お名前は上げられませんが厚く御礼を申し上げます。

 グリズウォルド総裁主教の来日の主な目的は立教大学からドクター・オブ・ヒューマニティーズの名誉学位を受けられることと、平和と和解のメッセージを発信したいとのことでした。立教大学の学位授与の辞によれば、「2001年の9・11事件の際、事件発生から数時間後に、諸宗教間の連帯、米国社会における民族的・宗教的マイノリティへの配慮、報復戦争及び行動に対する断固たる拒否を軸とするメッセージを公にされました」また「常に、マイノリティの立場にある人々への視点を大切にしておられます」。

 総裁主教ご自身は日本聖公会主教会との懇談を日本訪問のハイライトと位置づけておられました。
私も聖路加国際病院チャペルでの東京大空襲の犠牲者のためのお祈りをご一緒しました。大空襲の被災者の救護にあたった病院だからです。祭壇に献じられたお花は、祈りの後に上田憲明執事が言問橋のたもとにある江東区の慰霊碑に献げてくださいました。色々なお客様が日本に来られますが、東京大空襲の犠牲者までを憶えてくださる方は少ないように思います。

 とても窮屈な日程でした。どのプログラムも省けないものばかりで、仕方がなかったのですが。随行員の方は「彼は非常に霊的な方で、この日程では静かに祈り、黙想する時間が持てなくて気の毒だ」といっていましたが、新幹線の中では祈祷書を開いておられました。この窮屈な日程の最後の一日に京都にご案内するべきか広島にご案内するべきかを迷いましたが、ご本人のご希望は是非広島を訪問したいとのことでした。

 10月23日の日曜日の朝、8時30分の開館にあわせて原爆資料館訪問。予定の時間というものがありますから私はイライラしましたが、展示物を一つひとつ丁寧に見ておられました。被爆者慰霊碑に米国聖公会総裁主教として献花。それから宇野首座主教、中村神戸教区主教、広島復活教会の信徒の皆さんと広島・長崎の原爆犠牲者のためと平和のための祈り、さらに宇野首座主教の韓国人犠牲者慰霊碑での献花。

 広島復活教会での説教は巻頭に掲載させていただきましたのでご覧ください。素晴らしいメッセージです。説教中の出来事です。「今、皆さまの前に立っている私は、1945年8月6日この広島に、そして9日には長崎に投下された原爆によって生じた悲劇に苦しむ人々に対し、深い哀悼、後悔、懺悔の意を表明いたします」の部分だったと思いますが、お声が止まりました。読んでおられる原稿の箇所が分からなくなったのかと思いました。あまりに長い沈黙で、ご気分が悪くなられたのかとも思いました。私たちはチャンセルにおりますから説教壇に立っておられると後ろ姿しか見えませんので、何が起こったのか分かりませんでした。涙を流して声を詰まらせておられたのです。その心の底からの誠実なメッセージとしてお読みいただきたいのです。

 今、とても難しいお立場に立っておられます。米国聖公会の最近の話題については、相変わらずテンポの遅い私はまだ小首を傾げています。しかしこの誠実な方とスタッフであれば、これからも一緒に悩んで行きたいと強く思わされました。思えば日本聖公会、立教学院、聖路加病院、キープ協会そのほか多くが、また少々心配になってきた年金制度を含めて米国聖公会の兄弟姉妹によって見守られてまいりました。「米国聖公会のために祈って欲しい」と言っておられましたが、本当にお祈りしたいと思います。




■パキスタン北部大地震救援募金に関するお願い

日本聖公会管区事務所総主事 司祭 三鍋 裕

2005年10月17日
主にある兄弟姉妹の皆様

 主の平和
 パキスタン北部の地震の被害の拡大が伝えられており、皆様も心を痛め、お祈りくださっていることと存じます。家族や家を失い、空腹と寒さの中で救援を待っている人々のことを思うと、本当に辛い思いがいたします。

 日本聖公会としましては、地震発生直後にすでに海外緊急援助資金からNCC(日本キリスト教協議会を通してACT(Action by Churches Together)という信頼できる救援団体に100万円を送金いたしました。

 NCCから各教会には献金をお願いする葉書が届いておりますが、お志がおありでしたらNCCにご送金くださればと存じます。
もちろん管区事務所にお送りくださっても結構でございます。現在のところ現地の教会と連絡が取れておりません。しかし、もし現地のパキスタン教会ペシャワール教区などと連絡が取れ、パキスタン教会として独自に被災者支援活動などがある場合には管区事務所にお送りくださる献金はそちらにお送りすることもございます。

 どうぞ引き続き犠牲者、被災者、奉仕者のためにお祈りください。また今回の地震に限らず世界中で貧困、病など色々な困難の中にある人々とお憶えいただきたくお願い申し上げます。

◆NCCへの送金方法:
郵便振替 00180-4-75788 名義:日本キリスト教協議会 ※通信欄に「パキスタン北部大地震 救援募金」と明記してください。
◆日本聖公会管区事務所への送金:
郵便振替 00120-0-78536 名義:日本聖公会 ※通信欄に「パキスタン北部大地震 救援募金」と明記してください。




■教区制改革委員会より

− 今・考え・願うこと −
教区制改革委員会・委員長 主教 加藤博道
◇「あまりに高い教区間の壁を低くすること」
◇「あまりに大きい教区間の給与格差の是正」
この2点が、2004年の第55(定期)総会の決議によって立てられたわたしたち「教区制改革委員会」の現在の課題であり目標です。

1. 教区間協働は絶対に必要です。
 「制度だけ変えても良くはならない」という声をよく聞きます。私たちもそう思います。過去からの様々な取り組みを研究し、また委員会で話し合う中で、今必要なのは「教区<制度>改革」ではなく、「教区<性>」改革ではないかという言葉も出ました。つまり教区というものの性格、そしてとくに教区間の「関係性」の変革です。アメリカ聖公会等では、一人の聖職が複数の教区で働くことはかなりあるようですが、日本聖公会の場合、印象としては、「一つの教区に終身就職」している感があります。意識の面でもそうですし、例えば退職金制度のあり方等も教区によって全く異なっていて、相互の互換性は見られません。

 各教区がそれぞれ独自の個性、特徴を持つことは豊かなことです。しかしあまりに狭い教区意識は、日本聖公会が一つの教会共同体、「生きたからだ」となって、人的その他の賜物やプロジェクト、可能性を分かち合うことを困難にしています。「教区数の整理統合」「合併」の是非という議論の前に、もう少し各教区同士がお互いを知り合うところから是非始めていただきたいと願っています。「PIM」(宣教におけるパートナー)という考え方は、諸外国との関係でもっぱら用いられましたが、もっと教会間、教区間のPIMを、と私たちは訴えます。協働関係やコンパニオンシップは海外に限らず、国内にも豊かな可能性があると信じます。日本聖公会全体が一つの宣教の共同体であるために、より豊かな教区間協働は絶対に必要と確信しています。

2. あまりに大きな教区間の給与格差は宣教協働の大きな妨げになっています。
 国内だけではなく、現在大韓聖公会と日本聖公会の宣教協働、人事交流がさらに具体化されようとしていますが、各教区間の給与格差は大きな壁となっています。また日本聖公会の聖職として同じ召命に生きながら、勤務地によって時として生涯で数倍も給与が違ったり、体系が違ったりすること、そしてそのことに無関心であることは一つの教会・教団としておかしくはないでしょうか。教会としての姿を整え、内外の協働関係をより積極的に行うため、画一化はしないまでも、例えば「日本聖公会標準給与表」の制定は可能と考えて、具体的な提案に向けて研究を進めています。

3. 「23,026から19,768」
 この数字、前者は1985年、20年前の現在受聖餐者数、後者が2004年の現在受聖餐者数です。「聖公会は立ちもしない、倒れもしない教会」とある人が言ったそうです。そして少しずつ体力を弱めていくのでしょうか。繰り返しますが、制度を変えただけでこうした状態が変るとは思いません。しかし同時に、私たち日本聖公会の教団としてのあり方について、将来に向けてより根本的な変革も勇気をもって考えるべきかもしれないという、「開いた眼差し」は是非必要と思います。そうでないとただ変化を嫌う現状維持の教団となってしまいます。祈りと宣教伝道のさらなる努力が必要なことは当然です。同時に私たちの現状の姿が、日本における宣教という点で、本当に神様の御心に適う唯一の姿、態勢なのか、勇気をもって振り返ってみることも必要です。

 教会とは制度にあらず、生きた信仰者の集りであり、神の息吹、聖霊の力によって生命を与えられているところです。そうであればこそ、神の御心を求めつつ、少なくとも自由な議論をそれぞれの地で展開していただき、まず「教区間のPIM」をキーワードに、皆様の中でもいろいろな可能性を探り考えていただきたいと願っています。


管区事務所だより Oct. 01

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