バルナバ栄一の「聖書談話」(マルコによる福音書@) (3)
《神の子イエス・キリストの福音の初め。預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう」。》(マルコ1章1〜2節)
初めと言う言葉はもう1箇所、旧約聖書:創世記1章に記載されています。「初めに神が天と地を創造した」と言う言葉です。その時には地には何もなかった。唯闇と混沌があり、神の霊は水の上を動いていた。まるで現在と同じようです。現在も闇があり、混沌があり、サタンの力が滅ぼされ切ってはいないように感じられます。精神の異常や、肉体の患い、飢えや差別に苦しむ人々、またわけも分からぬ殺人など、苦しみや悲しみが満ちているこの世界、「光あれ」と言う神様の言葉で、現在もはっきりと人間に光が、真の希望が欲しいのです。いや「イエス・キリストの福音の初め」という言葉こそ『現在の光あれ』なんです。旧約聖書、新約聖書というのは、私たちを救おうとする神様の歴史(救済史)であり、私たち人間に対する神様の、旧約は古い約束、新約は新しい約束なのです。神はご自分のお創りになった人間をこよなく愛して下さっていました。にも拘らず、と申しましょうか、人間は神に向かってどのように生きてきたでしょうか。旧約聖書の救済史と云われている文章を読みますと、神様が人間に与えてくださった色々の約束が書いてあります。主なものだけでも書くと、
アブラハムには・・・子どもが生まれないアブラハム夫婦に老年になって、イサクが神の約束に従って与えられました。そして「あなたの子孫は星の数のようになる」と言う約束が与えられ、神様に導かれるままに目的地も知らずに神に身を任せて従ったアブラハムは、行き着いた豊穣なカナンの地を約束どおり頂きました。イサクの子ヤコブには・・・大いなる国民にするという約束が与えられ、イスラエルと言う名を頂きました。エジプトよりイスラエル民族を救い出す使命を与えられた(その大いなる解放の事をエクソダス=脱出と言いますが)モーセには・・・十戒を与え、イスラエルの民が神様の戒めに従う時には、父祖からの嗣業の地カナンに定着し、繁栄する事を約束し、ダビデには・・メシアはダビデの子孫から出て、その王座の永遠の繁栄が約束され、(ダビデ王的メシア)とイスラエルの民は受け取っていました。もし神のご意思に従う時には、と言う条件はありますが(つまり十戒、律法を誠実に守る時)。しかし残念ながらイスラエルの民は、神を愛し、神に従い、貧しい者と仲良く生きるという、神の憐れみ深いご意思に背き、その罰としてバビロンへ民族全部が囚人として捕らわれ流されると言う憂き目に会います。その時、第二イザヤは・・・
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