バルナバ栄一の「聖書談話」(マルコによる福音書@) (1・2)
今日から皆様とご一緒に聖書・・「マルコによる福音書」を読んでゆく事が出来ると思うと、嬉しいのですが、一面大変な事を言い出してしまったと後悔しているところもあります。この一年、頭の働き、特に記憶力が悪くなって、健康的にも余力がありませんし、体に色々不備な点が起こり、何時中断するようなことになるか分からない可能性もありますが、もしそのような事が起こっても、どうぞお許しくださいますように。参考文献として、市川喜一師「マルコ福音書講解」*注1;シュラッター氏「新約聖書講解全集・Aマルコによる福音書」;ウイリアム・バークレー師「マルコ福音書」;渡辺信夫師「マルコ福音書講解説教」;などを主な参考書として進めるつもりでおりますが、時にウオルター・ワンゲリン著・仲村明子姉訳の小説「聖書」新約篇を用いる事も考えています。「幻想的」な感じが私には好ましく感じられましたので用いました。健康の都合で中断するような時には、それらの本をお読み下さいますように。最初から一寸逃げ腰ですなあ。
それでは、 著者マルコは、バルナバの甥でパウロの第一伝道旅行の時、途中からパウロや同行のバルナバから逃げ帰った、あのマルコ(使徒言行録13:13)ですが、後年ローマで投獄された時のパウロからは大変信頼されているような印象が見えます(コロサイ人への手紙4:10)。そのマルコはずっとペテロの通訳として一緒に居りましたので、2世紀の終わり頃、パピアスという人は、「マルコ福音書は、最大の使徒であったペテロの説教の題材の記録そのものである」と語っております。この福音書が書かれたのは恐らく、西暦70年の少し前だったろうと推定されており、四福音書の中で最も早く書かれたものだということです。マタイやルカの福音書は明らかに、このマルコによる福音書を一つの取材源としている事は、学者が間違いのない事実と認めています。さて、
神の子イエス・キリストの福音の初め(マルコ1章1節:新共同訳)
に移りましょう。その頃(西暦32年春・五旬祭の日)エルサレムでガリラヤの漁師ペテロが叫んでいました。「あなた方が十字架につけて殺したナザレ人イエスを神は復活させられた。私たちはその証人である。この方こそイスラエルに約束されていた救い主メシアです」と。キリストの聖霊降臨を見、キリストの復活の証言を弟子達から聞いた数千人の者が、それを信じ、イエスを、主キリストと告白したと使徒言行録は伝えています。イエス復活の告知が初めはユダヤ教の枠の中で行われたのは、ユダヤ人の父祖、アブラハムや、モーセ、ダビデ等に与えられた約束によって、メシア(ギリシャ語のキリスト)待望がイスラエル民族にあったからです。しかしイエスが西暦32年頃、十字架につけられ、復活されてから20年、30年と経ってくるうち、救い主キリストの信仰者達は、ユダヤの周辺の国々に増え、西暦50年代にはローマ帝国の首都ローマにまでいたと言われています。でも異邦人=異教徒がユダヤ教徒になる為には(その頃はまだキリスト教はユダヤ教の一分派でした)、割礼を受けてモーセの律法を守らねばならぬと主張する有力なユダヤ教徒がいました。それに対してパウロは「異邦人は割礼を受けてユダヤ教徒にならなくても、イエス・キリストの十字架の信仰により、(イエス・キリストの神)の民となる」という承認をエルサレム会議で勝ち取ったのです。神はユダヤ人だけの神ではなく、世界の万民の神である。キリスト(メシア)はユダヤ人だけの救い主ではなく、すべての民にとってキリスト=救済者である。キリストはこの世界に既に来られた。その福音の原点をマルコは、福音が歴史的に世界に展開される救済史の中で、初めて文書の形で残そうとしているのです。実に壮大な企てです。
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*注1:市川喜一師「マルコ福音書講解」は「市川喜一師のキリスト福音誌『天旅』」で読むことができます。
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