2024年12月29日 降誕後第1主日(C年)

 

司祭 セシリア 大岡左代子

「神の本質」【ヨハネによる福音書1:1−18】

 今日の福音書は、ロゴス賛歌といわれるヨハネによる福音書の冒頭の箇所です。クリスマスには通常14節までが読まれますが、今日はそのあとの18節までが含まれます。
 このロゴス賛歌は、イエスを「言(ことば)」や「光」として表していますが、その存在は「初めに神と共にあった」とあるように、最初から存在していた、しかも神と共に存在していたということを伝えています。「言」の原語はロゴスです。ロゴスとは、単に言葉、wordのことを言うのではなく、真理や本性という意味を持ちます。つまり、ヨハネ福音書はイエスそのものが神の本質である、ということを最初に宣言しているのです。「言は肉となってわたしたちの間に宿られた」、その神の本質が人間の形となってわたしたちのところにやってきた、その出来事がクリスマスの出来事でした。
 洗礼者ヨハネは、イエスについて「わたしの後から来られる方は、わたしよりも優れている。わたしよりも先におられたからである」とわたしが言ったのは、この方のことである、と証し、声を張り上げて言った、というのです。そして、「わたしたちは皆、この方の満ち溢れた豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。」と言います。「イエス」の存在は、それまでにユダヤの人々が大切に守ってきた律法を超えるものであることを伝えます。それは、これまでのユダヤ教の枠を超えて、人々の中に神様が介入されたこと、新しい神との関係が始まったことを意味していました。

 「いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」肉の眼で神の存在を見ることはできないわたしたちですが、イエスの存在を通して、神はご自分を示されました。イエス様に出会った人々は、イエスが十字架に架けられ復活された後、「本当にあの方は神の子であった」と確信したからこそ、イエスの誕生から2000年以上を経た今、ユダヤの地から遠く離れたこの日本でも、イエスを信じ、信仰告白をしたわたしたちが存在しています。そのイエスがご自分の生涯をかけて伝えられたことは「互いに愛し合うこと」でした。互いに愛し合うことこそが、神のみ心であり、「愛」が神の本質であることをご自分の命をかけてわたしたちに教えてくださったのです。そして、その神様の愛は、条件付きではない無条件の愛なのです。

 わたしたちは神の姿を見ることはできません。神の声を直接聞く、ということもありません。けれども、イエスがこの世に来られたことによって、神の本質を知ることができました。それが聖書を通して、つまり、イエスに直接出会った人々の口、言葉を通して、今もわたしたちに伝えられているのです。律法によらず、神の本質を現わされようとされたイエスをお迎えしたこの期節、イエス・キリストを通して伝えられた恵みと真理、神の愛を多くの人々に伝えるものでありたいと思います。