執事 ダビデ 梁 權模
「世のため献げられる」
「これは主が、万民のために備えられた救い。すべての人を照らす光、み民イスラエルの栄光。」(祈祷書39頁、「シメオンの賛歌」より)
本日の福音書箇所は「被献日」という名前の通り、イエス様が神殿において「献げられる」という場面が描かれています。本文の中で、イエス様のご家族は長子であるイエス様のためのいけにえを献げようと、エルサレムの神殿に入ります。
その時、三人の家族は不思議な経験をします。それはシメオンという、信仰の篤い人によるイエス様に対する預言を聞かれたことです。
本文のシメオンの言葉は、私たちが持っている祈祷書の「夕の礼拝」「夕の祈り」の賛歌として礼拝の中で用いられる箇所です。シメオンは幼いイエス様を抱き上げて、冒頭に書かせていただいた言葉とおりに神様を賛美します。
賛美の中で、彼はイエス様のことを「万民のための救い」「すべての人を照らす光」「み民イスラエルの栄光」であると言っています。シメオンはこの三つの言葉だけで、イエス様がどのような方であるかをはっきり示しています。すなわちイエス様は世の救い主、世の光、そしてこの世において栄光を帯びた王として来られたのであると伝えているのです。
この出来事はイエス様が神殿において献げられることが、単に律法に従ってご自分を贖われるだけではないことを伝えているように思っています。それは、イエス様ご自分がこの世のために献げられる方であることを、私たちに伝えています。
というのは、青年となって働かれたイエス様の歩みが「神様のみ心に従って」この世のためにご自分を献げられることであったからです。
イエス様はこの世の本来あるべき姿、すなわち「神様との関係の中で生きていた世界」への回復のために働かれました。それは自らが創造されたこの世界に対する、神様の絶えることのない愛のみ心をイエス様が理解していたからでした。
そのためにイエス様は神様と世界との関係の回復を成し遂げるため、ご自分を献げられたのです。まさに、世の救いであり、光である、栄光の王たる働きを全うされたのです。
神様のみ心に従ってこの世のために献げられるイエス様のように、私たちもイエス様の働きに参与できることを祈りたいです。
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