司祭 エレナ 古本みさ
「イエス様の肥やしを吸い上げよう」【ルカによる福音書13:1−9】
「悔い改めよ、悔い改めよ、悔い改めよ……。」大斎節の間、私たちは繰り返しそう呼びかけられます。それはしかし、ただ「ごめんなさい、もうしません」と言うことではありません。悔い改めるとは、自分が自分だけでは立つことができず、神さまなしには生きられないという事実を認め、受け入れることなのです。
先週の福音書では、私たちは「めん鳥の羽の下に戻らない雛」、今日の福音書の後半では、「実を結ばないいちじくの木」にたとえられます。面白いことに、このいちじくの木はなぜか、ぶどう園に植えられています。たくさんの実をつけ、主人を喜ばせるぶどうの木々の間で、実を結ばないいちじくの木が、ひとりで嘆くのです。「なぜ私はまわりのみんなのように良い実を結べないのか?」
そこへ畑の主人がやってきて園丁に、「この木を切り倒せ」と言います。すると、彼は訴えるのです。「ご主人様、今年もそのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。それでもだめなら、切り倒してください。」
この園丁は、ほかでもないイエス様です。十字架にかかり、神さまと私たちの間の大きな溝を埋めるために、ご自身を捧げられました。主の流された血は、私たちを生かす肥やしとなったのです。
いちじくの木は来年、実を結ぶでしょうか? それはわかりません。しかし、もし来年も実を結ばなかったとしても、イエス様はきっとまた来て言ってくださることでしょう。「もう一年、待ってください!」と。私たちはイエス様の肥やしを受け入れるだけでいいのです。すべてを委ね、安心していきましょう。
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