司祭 ダニエル 鈴木恵一
阪神淡路大震災から30年を迎えました。30年前の1/17に起きた阪神淡路大震災は多くの人が傷つき亡くなった大きな悲しみの出来事です。毎年、1月の第3日曜日はそのことをおぼえ、また今後の大きな災害への備えとして、京都教区では今日の信施は災害支援資金として用いられることを呼びかけています。阪神淡路大震災は大変な出来事でした。そのただなかにあって、悲しむ人々を支えようという心が多くの人々の間に起こりました。このことは社会を変えるような大きな働きになりました。そして、教会も多くの人々と支え合って、苦難を共に歩みます。
きょうの福音書(ヨハネ2:1−11)には「召し使い」が登場します。召し使いは聖書の書かれた言葉ギリシア語ではディアコノスといいます。執事を表すディーコンの語源でもあります。聖書ではこのディアコノスは「仕える者、奉仕者」と訳されることもあります。今日登場した召し使いたちもイエスさまの言葉に従い、イエスさまのなさることに協力しました。わたしたちも召使いたちのように人々と神さまに仕えるものになり イエス様の道を共に歩みたいと思います。
そして、きょうの福音書は イエスさまの最初のしるし 最初の奇跡の出来事が朗読されます。イエスさまが危機を喜びに変えられた出来事です。イエスさまの奇跡の出来事は、わたしたちの経験を超えた不思議な出来事です。ただの水がぶどう酒に変わったという出来事も、わたしたちは手品のようになにか仕掛けがあるのではとうたがったりするかもしれません。どのようにして、水がぶどう酒に変わったのか、ということを考えて、自分の納得のいく理由を探していることもあります。そのような、表面的な思い巡らしにとどめることなく、その水がぶどう酒に変わったということで、そこにあつまった人々にどんな意味をもっていたのかということを考えることも わたしたちに大切なことです。
イエスさまの奇跡の出来事は、わたしたちにいつも挑戦 試みをしてきます。そのように深く考えていくことは、わたしたちとイエスさまや神さまとの対話でもあります。わたしたちがこれからをあきらめてしまうような希望を失いかけた時でも、共にいてくださるイエスさまは、わたしたちが思いもよらない出来事をとおして、悲しみや苦しみを希望へと変えてくださいます。わたしたちもその喜びを分かち合い喜びを伝えるものされていきましょう。
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