司祭 マーク シュタール
イエス様のご降誕、命名、そして1月6日の顕現日と、キリスト教の大きな出来事が相次いでありました。顕現日は、三人の東方の博士が星を頼りに馬屋にたどり着き、生まれたばかりのイエスを見つけ、金、没薬、乳香の捧げ物をしてイエスを拝みます。このクリスマス後の季節、顕現節に当たり、改めて顕現の意味をさまざまな角度から考えたいと思います。例えば、顕現後第1主日は主イエス洗礼の日なのですが、洗礼時、イエス様はおよそ30歳だったと言われています。改めて考えると、生まれたばかりイエス様があっと言う間に30歳になっているというのは不思議な感じがします。
実に、この主イエス様の洗礼はとっても大きな出来事です。この洗礼がなければ、イエス様の宣教活動もなかったでしょう。そして、この洗礼の出来事が顕現節にあることに大きな意味があるのです。顕現とはRevelation「啓示」とかManifestation「明示」という意味ですが、これは、宗教あるいは信仰の世界特有の概念ではありません。顕現という言葉は政治の世界とも強い関係があります。最近の出来事でもいろいろ重なることがあります。例えば、4年前のパンデミック、そして現在の政治的、経済的な混乱、さらには戦争によって、世界の多くの国が苦境に立たされています。そして、私の国、アメリカでは大統領選挙で分断が進み、今後の国政の行方、さらには世界に与える影響に大きな不安を覚えます。いずれの状況においても、政治家は時に私たちの救い主イエスの権威とメッセージを都合よく利用することがあります。政治的、社会的事象が顕現であるかのように説明したりします。
元々、イエス様は政治家が望むような人物、言い換えれば、権力者に尊敬される存在ではありませんでした。福音書でも頻繁にイエス様は悪魔の手先だとか、大酒飲み、大食家、不道徳を奨励する者だとか言われます。これらは当時の政治的リーダーたちによって勝手につけられたイエスの称号でした。復活後のイエス様も同様の扱いを受けました。昔も今も権力者、政治家は都合よくイエス様を利用したと言えます。
啓示または明示を意味する「顕現」は約2000年前に私たちに示されたことですが、それは決して、政治家のスローガンなどはなく、イエス様のバプテスマでした。その真理は異邦人にイエス様の存在が啓示されたことにあるのです。そして、最も重要なポイントはこの洗礼は神様の救いが少数のイスラエル人のためだけでなく、すべての人のための救いであるということです。その啓示は今も脈々と受け継がれ、この日本にも届き、私たちはヨルダン川で行われたイエス様のバプテスマの生き証人となっているのです。
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