2024年12月15日 降臨節第3主日(C年)

 

司祭 クリストファー 奥村貴充

 思い起こせば昔、特養で働いていたあるとき若い女性と一緒に仕事をすることになりました。私が28〜29歳、相手が22〜23歳といったところでしょうか。食事に誘われたのですが、約束の場所に行ってもなかなか来ません。結局3時間待って来ませんでした。「待ち人来たらず」という言葉がありますが、しかしアドベントの期間、じっと待っているとクリスマスは必ず来ます。

 ところで、本日のルカによる福音書(ルカ3:7−18)は、洗礼者ヨハネが悔い改めを勧めている場面で、徴税人や兵隊に勧めの言葉を投げかける姿が印象に残ります。洗礼者ヨハネがこのように語るのはこの時代、それほどまでに神から離れていたことの裏返しです。「悔い改めにふさわしい実を結ぶ」というのは、これから来られる救い主を自分の内に迎え入れるために必要な姿勢です。

 個人的な話になりますが、私が悔い改めということで思い出すのは16歳の時のことです。それまでの自分の出来事を思い起こした場合、神の御心に沿わねば……と、自分で自分に言い聞かせたものでした。そういう悶々としていた折、ギデオン協会から貰った新約聖書を読み、主イエスを受け入れる旨のことを署名する欄に年月日と名前を書き入れたことを覚えています。
 もちろん完璧な人間はいません。「悔い改め」をしても(悔い改めにふさわしい実を結んだかどうかは分かりませんが)、すぐ道を踏み外してしまうのが私の弱いところです。まさに今日の特祷にあったように「罪に妨げられて苦しんでいる」姿です。
 そのためにイエスはこの世に来られたのでした。私たちを救うためです。神が肉体をとって人となるクリスマスの出来事、これは私たちの人生に関係があります。2000年前のあのベツレヘムで誕生した1人の幼な子が、時代を超えていつでもどこでも世界中で祝われるのは、1人1人の人生に関係があるからです。

 思い起こせば16歳のあの時、この他でもないこの自分の人生にイエスがともにかかわっておられる……、だから今も生かされているのだと確信します。来週は降臨節第4主日ですが、やがて必ず来たるイエスの到来に思いを馳せたい次第です。御降誕は私たちへの最高のプレゼントで、最高の喜びなのです。